1425年(和暦 応永32年)2月1日、中国の

明王朝が「尚巴志さん」を琉球国王として認定し、

王冠を授けたとの書簡が残っていることにより

本日を記念日としています。

 

「琉球王国」は、一般的には、1429年から

1879年(明治12年)の「琉球処分」により、

日本の県の一つ「沖縄県」として日本に編入

されるまでの450年間とされますが、

 

「琉球」という呼称は、「隋書」(609年頃)には既に登場しており、

中国の冊封体制のもとに、中国王朝側から呼称された

もののようです。

地元では、発音は微妙に独特のものが有った筈ですが、

「おきなわ」に近い表現がされていたようです。

 

「遣隋使や遣唐使」、更には「鑑真さん」の立ち寄りなども

記録されており、海洋の拠点的位置を占める、

太古より人の住みついた、歴史の深い

所です。

 

中国からの併合や侵略の脅威は絶え間なく

有りましたが、屈することなく、朝貢姿勢は取りつつも

独立を貫きました。

 

1600年代に入り、日本からは「薩摩藩」が

属領とすべく働きかけも続きましたが、

「琉球王国」としての矜持は貫きました。

 

土地柄は、東アジアの海洋交通の要的な位置でもあり、

交易上の拠点として機能しただけではなく、

気候風土は温暖で、自ずから、暮らしやすく、

人情も温和な風土が育っていました。

 

様変わりしてしまったのは、1879年の「琉球処分」により

日本に併合されてからの100有余年です。

正に戦争に明け、戦争に暮れる、その拠点的な

位置づけを強いられています。

 

日清、日露から満州事変(1931年)頃までは、

未だ、日本の雰囲気は「勝ち戦(かちいくさ)」でしたが、

太平洋戦争に入り、日本は「連戦連敗」を続けます。

総決算も、沖縄から始まりました、

「沖縄上陸作戦」です。

民間人の婦女子まで含め、民族の消滅を思わせる

異常事態を現出させてしまいました。

 

沖縄の人々にとっての「沖縄戦」の被害は、

あの日本本土内での「広島と長崎の原爆被害」を

凌駕するものが有ります。

 

敗戦後は、20年余に亘るアメリカ軍の占領、

返還後も、米軍基地は温存され、軍事的な

緊張の継続だけでなく、婦女子に及ぶ民事事件の

発生、更には、米国人有利の裁決など、

語るに落ちる状態が続いています。

 

琉球本来の、明るく、開けっぴろげで、

大らかな日常生活が帰る日はあるものか、

見通しも立ててはいません。

 

「沖縄の人々」に対しては、「より幸せを約束」しての

「沖縄県」の設立で有った筈です。

日本本土に住む私達にも「臨場感」が必要に

思う所です。

如何なものでしょうか。

我家の“リオ君”ですが、

昨日、保育園から父兄への

連絡が有りました。

 

新たに「コロナ陽性の園児」が

でてしまい、園のお休みを

延長するとのものでした。

 

我家の“リオ君”には、

喘息の兆候も有り、

大事を取るに越したことは

有りませんが、

元気いっぱいで有れば有ったで

周りが大変です。

 

じっとしている瞬間は、

寝ている間だけです。

起きている間は、

絶え間なく動き回り、

ハラハラの連続です。

 

家の中に居れば居たで、

目が離せませんし、

庭へ出れば出たで、

高い所へ登りたがり、

危ないところだらけです。

 

体の具合を悪くして

大人しく静まりかえっているのとでは

大違いですが、

にこにこ穏やかに笑って見て居られる

状況では有りません。

 

「お手柔らかに、祈る」ばかりです。

 

“リオ君”は

悪戯坊主の良い子です。

“コロナ禍”は、マラソンで言えば、

中間地点には届いているものか、

どうも先行きが読めません。

 

症状から「インフルエンザ」と同様の

対処で充分では等、

意見も錯綜しています。

 

長期戦は覚悟してはいても、

街に活気が無くなりますと

気分も落ち込むのは人情です。

 

元気に、大きな声で、

お客様をお迎えし、

歓待したいと思います。

 

今日もよろしく

お願い致します。

 

アンクリエイト