1902年(明治35年)1月25日、北海道の
旭川で観測史上最低気温、△41.2度を
記録したことに因んで、
「寒い日には、ほかほかの中華まんを味わって
欲しい」との想いから制定されたとのことです。
今風にいう“中華まん”とは、中華料理の点心の一種で
「包子(パオズ)」を元に、日本で独自に発展を遂げた
中華風蒸し饅頭を総称したものですが、
そもそもは、中国の三国時代(西暦220年頃)、蜀漢の
「諸葛亮孔明さん」が作らせたとされていますが、
日本で商品化されたのは、1927年(昭和2年)に
中村屋が「天下一品 支那饅頭」の商品名で売り出した
のが初めてとされています。
“中華まん”は内包する具によっていくつもの種類が
有ります。
主なものでは、「肉まん」、「餡まん」、「カレーまん」、
「ピザまん」など、多種多様です。
いずれも、特に寒い日など、ほかほかの中華まんを
口いっぱいに頬張りますと体も温まってくる気がします。
中華風の料理は、私の中では、日本料理に比べ
豪快で、コッテリとしていて、繊細さは有りませんが、
大らかさを感じさせるものがあります。
先ず、何よりも、料理を作っている職人さんの
作業風景を目の前で見ることができます。
フライパン状の大鍋に、食用油を注ぎ、豪快に
「もやし」等を跳ね上げて、時には、その「もやし」
の上に、炎が見えて、幾度か繰り返して、
更に盛り付け、食膳に提供されてきます。
少々の「毒気」等は、如何にも吹き飛んで
しまいそうで、バイタリティと抜群のエネルギーで
少々の汚れなどは気にすることもなく
食欲も弾みます。
又、どういうわけか判りませんが、私にとっては
中華鍋には「もやし」が良く似合います。
切っても切れないもののようです。
話は戻りますが、「肉まん派」と「餡まん派」とに
別れることが多いようです。
双方の人気は拮抗しているようですが、
一律に、男性は「肉まん派」、女性は「餡まん派」という
区分は当たってはいないように思います。
早い話でっすが、私自身、頭はツルツル、ひげは濃く、
声も太い、筋肉体質の「男性」ですが、どちらかと言えば
「餡まん」に軍配を揚げ、手に取ってしまうように
思います。
かと言って「肉まん」が嫌いなものでは毛頭ありませんが、
あくまで、しいて言えばという領域での話です。
日本を原産地として、中国にも普及した食品も
有るのではと思いますが、中国から伝来した
食品の多様さには目を見張らせられるものが
あります。
それだけ、長い歴史の積み重ねが有ったことの
証(あかし)でもあるのではと思います。
唐の玄宗皇帝のころ、中国でも厚遇され、
遂には、再び日本の土を踏むことなく生涯を終えた
「阿倍仲麻呂さん」の歌が有ります。
「あまのはら ふりさけみればかすがなる みかさのやまに
いでしつきかも」(本文は全て漢字)
清浄とした、懐かしさと、今までの自分の境遇への
感謝を思わせる秀歌だと思います。
寒さ厳しき折には、
「中華まん」の出番ですね。
我家の“リオ君”の体調は
すっかり回復してきたようです。
うんちもしっかりとして来ました。
ご飯も、食欲もりもりで
おいしく食べられるように
なりました。
睡眠も、昨夜の八時のお風呂上り
早々に「コテンッ」してから、
朝の八時前までグッスリと
寝てくれました。
今日の活躍の楽しみな
“リオ君”です。
私の学生時代、「フオークの神様」と
呼ばれた男が居ました。
「岡林信康さん」です。
彼の代表的な曲に、
「山谷ブルース」、「チューリップのアップリケ」、
「友よ」などが有ります。
いずれ劣らぬ記憶に残されている
曲ですが、ふと「友よ」の中に
謳われた“夜明けは近い…”の文言が
頭をよぎりました。
こんな時代にも
ピッタリとくるものが
有りそうに思います。
今日も一日、お客様の笑顔が
頂けますよう頑張ります。
よろしくお願い致します。
アンクリエイト

