1937年(昭和12年)1月21日、イギリスの

BBCテレビで、料理番組の元祖とされる

「夕べの料理」という番組が放送されたことを

記念しています。

 

日本で初めての料理番組は、宝酒造の提供した

日本テレビの「タカラお料理手帳」です。

ちなみに、NHKの長寿番組「きょうの料理」の

初放送は1957年(昭和32年)のことで、60年を

経た今もその「テーマ音楽」と共に愛され続けています

 

「料理」、「食事」への関心はほぼ誰にでも共通する

ものだと思います。

「美味しい料理を手軽に自分の手でできる」

「楽しく料理作りができる」ということの持つ魅力は

安定した視聴率を保証するものでもあります。

 

「衣食住」の内でも「食」は、生命の維持、精神面

での安定を保つためには最も必要な要素だと

思いますし、「食」に絡んでの話題や場面に遭遇して

眉間に皺を寄せることは先ずありません。

 

幼いころからの「食」にまつわる思い出を手繰って

みたいと思います。

私の母は「母乳」のたっぷりでる体質だったようで、

末の弟が生まれてすぐ亡くなってしまったこともあり

小学生の低学年頃まで「母乳」を頂いていたように

記憶しています。

 

又、近隣に「乳牛」を飼育している家が有り、そちらから

絞りたての「牛乳」も頂いていました。我家でも「ヤギ」を

飼っており、「ヤギの乳」も、温めて飲んでいました。

学校では、3年生頃から「給食」が始まり、「脱脂粉乳」を

おいしく頂いたものです。

 

普段の食事は随分シンプルなものでした。

幸いなことに「お米と野菜」はふんだんに周囲に有りました

ので、白菜、ネギ、玉ネギ、大根、ゴボウ、ニンジン

、ホウレンソウ、里いも、さつまいも、じゃがいも、

スイカ、キンカうり、砂糖の木、グミ、柿、桃などは

食べ放題でした。

学校から帰ると、大概はお釜に「さつまいも」が

蒸して有りました。

 

海の物は、大浜や高浜から、行商のおばあちゃんが

頻繁に売り歩きに来ていました。

「サンマ」、「サバ」、「アサリ」、「アジ」等、大好きで

時々はお土産も有り楽しみにしていたものです。

 

肉類は、「カレー」か「すき焼」が定番だったように

思います。

特に「すき焼」は偶のことですので兄弟で早い者勝ち

状態になり、相当の量は有ったと思いますが、

忽ちの内に肉は無くなってしまったものです。

 

何せ、男ばかり3人兄弟の食べ盛り時期では、

一度の食事で「5合のご飯」が空になってしまった

ものです。

 

父親の系統は、「抹茶」を楽しむ人が多く、

「饅頭は何処どこの店の餡でないと駄目だ」とか

「日本全国の銘菓」を話題にしたり、精通している

ように見受けましたが、

私の場合は、そういった「繊細さ」は育まれず、

「腹に入れば皆同じ」であり、

「腐っているか、大丈夫かは自分の目と鼻と舌で

見極めろ」という荒っぽいものでしかありません。

 

そんな私でも、NHKの「きょうの料理」のテーマ音楽の

リズムは体に染みつき、快くさせてもらえます。

「上沼恵美子さんのおしゃべりクッキング」など

バラエティ風のものも含め、時間を気にせず

気分をほぐすのにはうってつけのものが

「料理番組」ではと思います。

 

多分、恐らくですが、NHKさんの「きょうの料理」あたりは、

40年後の100周年も親しまれつつ迎えるのではと

思っています。

 

その時を見届けられるまでの自信は有りませんが、

楽しみに取っておきたいものと思います。

我家の“リオ君”ですが、

お母さんの作るものより、

保育園での給食の方が

活発なようです。

 

有る時、お母さんが保育園の

先生に相談したことがあります。

 

「リオちゃんはバナナやプリンなどは食べますが、

私の作ったものはなかなか食べてくれません。」

と相談したところ、

先生からは、「本当ですか、園では、ご飯も

おかずも、もりもり食べていますよ。」

とのお返事でした。

 

多分ですが、園児たち皆で食べる「給食」の

雰囲気あたりが大きく影響しているのではと

思いましたが、

今は家でも好き嫌いはほとんど無く

旺盛な食欲を発揮してくれています。

 

やっぱり、何でも食べる

“大喰らいのリオ君”が

大好きです。

いよいよ「オミクロン株」の脅威が

吹きすさび始めました。

 

感染者数もうなぎ上りで

愛知県も日本全体も

新記録の更新が始まってしまいました。

 

私自身も、3回目の接種を

するつもりですが、

 

用心を重ねつつ、

お店は続けたいと思います。

 

少しでもお役に立てますよう

よろしくお願い致します。

 

アンクリエイト