1982年(昭和57年)、日本電信電話公社(現NTT)が
東京・数寄屋橋公園に磁気テレホンカード対応の
公衆電話の一号機を設置した記念日です。
(世界で初めてテレホンカードを発行した国は
イタリアで、1976年のことです。)
当時まで日本の公衆電話は、全国津々浦々まで
設置され、利用頻度もうなぎ上りを続けていました。
また、十円玉しか使えない仕様に不便の声が高まり、
1972年(昭和47年)には、百円玉の利用できる
黄色の公衆電話が登場し、一斉に普及しましたが、
釣り銭の返却はできない構造のものでした。
この対策として、釣り銭の返却のできる機械の
開発が検討されましたが、製造面・運用面の
両面でコストの課題をクリアできず、代わる手段
として磁気媒体を利用する“プリペイドカード式
公衆電話”が開発、製造されました。
バブルの真っただ中、ポケベルの登場とも
相まって、賞品、プレゼント等の主役から、
カードの度数に対応しての「金銭的な価値」
まで評価され、宿泊費や一部の商店や商品の
支払にまで使用されるところまで、
庶民の生活に入り込んでしまいました。
しかし、その勢いは非常に短いものでもありました。
1990年代の中ごろにピークを迎えましたが、
携帯電話の急速な普及の前には為すすべもなく
衰退してしまいます。
21世紀に入ってからの“公衆電話”は、
減る一方です。
現在に至っては、災害時等を想定した
国策により一定数は残されていますが、
NTTにとって公衆電話は不採算事業に
なってしまっています。
“テレホンカード”は、我々「戦争を知らない」や
「チューリップのアップリケ」で青春時代を
過ごした世代にのみ記憶に残りそうなもののように
思います。
1965年から70年頃、学校を出て就職し、
がむしゃらに働きもしましたが、毎年、がっちり
給料も上昇し、80年から90年頃には、
家も購入し、浮かれている内にバブルは弾けて
しまいます。
順調に子供たちを育てていた筈ですが、
かけがえも無い子供たちには、
未曽有の“就職氷河期”という重い荷物を
背負わせてしまいました。
21世紀に入り、“テレホンカードの退場”と同様に
社会の主役の座の交代時期を迎えます。
しかし、親や祖父の年代と比べ、体だけは
元気です。
「老後」という言葉に対応する実年齢も、生活も
旧来の物差しでは測れません。
「生産人口の減少」に直面し、高年齢層にも
「働くこと」が求められています。
丁度、国策として残っている“公衆電話”と
こんなところでも共通するものが有りそうです。
こんな共通する時代を共有した「公衆電話と
テレホンカード」ですので、私の記憶の中だけでも
数え切れない思い出が残っています。
始めて生家を離れ、下宿した頃の、「父や母との
会話」、初めて好意を抱いた彼女宅への用意周到な
電話をする前の心構えを含めた準備と、先ずは、
母上様が出てしまった折りのやり取り、
友人との落ち合う場所、時間の打ち合わせなどから
ポケベルを持たされて以降の不便な現地報告など
枚挙に暇もありません。
良い時代だったな~と思えるものばかりです。
じわ~として来てしまいますので
感謝のありがとうで終わります。
我家の“リオ君”ですが、
おもちゃ箱には、
使わなくなった、電池の切れた
携帯電話が入っています。
上手に耳に充てて、
「もしもし、もしもし、」
と遊べます。
先日は、私のスマホを
いじっている内に、
どういうわけか、知人に
繋がってしまいました。
ビックリした知人もうまく
相手をしてくれましたが、
平に謝りましたが、
後日、大笑いさせてもらいました。
じっちゃんに電話すると、
大きな声が近くで聞こえ
賑やかですね、との指摘を
されますが、
その犯人は、
誰あろう、“リオ君”です。
年賀状にも登場して
もらいますが、
“リオ君”には
メロメロです。
昨日も「年賀状」のご注文を
頂きました。
時間の猶予は有りません。
特急便ですが、
余計に、間違いのないように
細心の注意が必要です。
今日もよろしく
お願い致します。
アンクリエイト

