1994年(平成6年)の11月18日、「国土保全
奨励制度全国研究協議会」が設立されたことを
記念し、制定された記念日です。
高度成長期も一段落し、全国津々浦々まで、
高速道路が走り、道路も舗装された一方では、
いつの間にか国土の乱開発も拍車を掛け、
地方、田舎、故郷の風景も様変わりしていました。
そのころの社会を支えていた人々の脳裏には、
沢山の歌などにも歌われていたように、
集団就職等で故郷を離れ、都会で生活する中で、
「故郷(ふるさと)」を思い浮かべる感覚には
現代と比較しても切なるものが有ったように
思います。
人が“ふるさと”として偲び、思い描く自分の人生の
中での時期はそれぞれに差が有るかも知れませんが、
ほぼ共通するのではと推測できますのは、
幼年時代から小中学校あたりまでを過ごした
場所ではないでしょうか。
大概の場合、そのころの身の回りには、
父母に加え祖父、祖母の顔も有り、
更には、兄弟姉妹、近所のおじさん、おばさん、
同じ通学団の遊び仲間など今は離れ離れに
なっている沢山の顔が浮かびます。
又、自分の家の近所の場合ですと、
ほぼ、玄関から裏口までの間取りも
頭に入っていますし、家族構成なども
当然のように頭に入っていました。
更に、日々の遊びの場所となる、
「公会堂周辺」、田んぼや畑の間を廻る
「膝までの深さも無い小川」、「神社の境内」、
「お寺の境内」、「竹籔に囲まれた池」、
「矢作川の河原、竹藪、砂浜」、「一面の蓮華畑」、
「麦畑」、「いとこの家の庭」など、
場所が浮かべば、そこでの遊びも浮かびます。
「鬼ごっこ、掴みやんご」、「チャンバラ」、「かけっこ」、
「S字けんけん」、「ソフトボール」、「竹ザルでのポンつく」、
「タニシ捕り」、「カブトムシ捕り」、「木登り」、
「すずめ捕り」、「柿、グミ取り」、「ミミズを餌の釣り」など、
毎日毎日、飽くことのない日々を過ごしました。
わたしにとってのそんな故郷も、その頃には
宅地開発で家も倍増し、残っている田畑も
圃場整備で昔の田舎の風景とは様変わりして
います。
話は逸れますが、私は「段々畑、田んぼ」の風景に
魅力を感じます。
中津川から恵那に掛けての中央道からの景色、
稲武から富山村へ向けての風景、
静岡県の清水から三島に掛けての、
海岸べりのミカン畑の見上げるような
風景、
何回目にしても見飽きることは有りません。
私の故郷の象徴される風景は、
東に矢作川を挟んで、「村積山」から岩津の天神さん
方向に連なる山並みです。
「村積山」は、標高は300m足らずですが、
円錐形の形の整った見映えのする山です。
数回登っていますが、
展望も素晴らしく、延々と続いてきた内陸部からの
山脈が遂に平野部に辿りついたものと
実感することができます。
“もりとふるさと”いつまでも
いつでも帰れる場であってほしいと
思います。
我家の“リオ君”は
「山登り」が大好きです。
近場の遊園地や、運動公園など
小さな小山があります。
「よいしょ、よいしょ」と
声を合わせて登ります。
頂上では、稜線に沿って
歩きます。
見晴らしの良さそうな所で
「休憩」です。
気持ちも清々しく、
口にするバナナの味も
一味違います。
“リオ君”有ればこその
悦楽の一つです。
もう少ししたら、
宮路山や京が峯あたりまで
足を延ばせそうな
“リオ君”です。
ここのところ、「名刺」の
増刷が増えてきています。
街の活気と連動している
ようにも思います。
オンデマンドの複合機は
働き者です。
今日も一日目いっぱいの
仕事が待っています。
一緒に頑張りましょう、
“複合機君”です。
よろしくお願い致します。
アンクリエイト

