1987年(昭和62年)、消防庁が制定した
記念日です。
「防火意識の喚起と共に、適正かつ迅速で
的確な119番通報を呼びかける」というものです。
“119番”と言えば、「救急と火事」の通報です。
いざという時の通報先として本当に心強い
限りです。
国の機関としての「消防庁」は国の行政機関の
一つですが、全国に隈なく配置されている
“消防団”は、「市区町村の管轄する自治組織」
です。
ざっと「消防団」の歴史を振り返ってみますと、
現在の「消防団の雛形」は、江戸時代まで
遡ることになります。
八代将軍「徳川吉宗さん」が、江戸南町奉行であった
「大岡越前守さん」に命じ、それまでの「店火消(たなびけし)」を
編成替えし「町火消」を設置させたことが、今日の
「消防団」の前身になっているとされます。
それぞれの「町火消」には「いろはに…」等、名前が
付けられたことにより、競い合って働きを示しあう
という風潮が生まれ、消防の発展に多大な成果を
もたらすことにもなりました。
この頃の村落部では「駆け付け消防」が主で、
城下町のような組織的なものは有りませんでした。
古くからの「五人組」や、地区ごとの「若者組」で
編成された、100%無報酬の自治活動でした。
基本的な「住民の自治活動」としての位置づけは
明治以降も続きましたが、昭和14年、緊迫する
戦時情勢を迎え、「勅令」による「警察の補助組織」
としての位置づけに変更されてしまいました。
「敗戦」により、GEQによる強制的な「警察」との
分離が行われ、現在に至る「自治体の管轄する
消防組織」という位置づけになっています。
「農地解放」とも並ぶ、英断であったと思います。
私の住む安城市にも「安城消防署」があります。
朝、8時から9時ころ、消防署横の「遊園地」へ
行きますと、元気のいい掛け声とともに、
朝の準備運動に励む署員さんの姿が見られます。
続いて、ズラッと並んだ消防車と救急車の
始業点検が始まります。
短く音を出し、発信のエンジン点検も掛け声と
ともに、整然と小気味よく進みます。
見ていても気持ちの良い光景です。
火事の関係では、お世話になったことは
有りませんが、「救急車」の方は、幾度も
お世話になっています。
市内にある「更生病院」への緊急入院と
セットのようにお世話になりましたが、
心強く、言葉には表せないほどの
感謝の気持ちがあります。
平常の夜でも、毎晩のように
近くで、或いは遠くで「ピー、ポー」という
音が耳に入ります。
「救急車」の到着を心待ちしている
人が今日の今もいることを
知らせてくれています。
「ありがとう」の“119番”です。
我家の“リオ君”が
初めて口にできた自動車の
名前は“救急車”です。
「ピー、ポー」の音も
上手に言えます。
自動車が大好きで、
「トミカ」の自動車
「レゴ」の自動車、
“リオ君”の愛車、「リオ君のベンツ」、
毎日飽きることも無く、
タイヤを外したり、
トンネルをくぐらせたり、
跨ったり、
いつも“ご機嫌”です。
困った人に優しい
“リオ君”のままで
居てほしいものと
思います。
今日は“雨”、
うっとおしい気持ちも
払いのけて、
一日を過ごしたいと思います。
よろしくお願い致します。
アンクリエイト

