「鳴くよ鶯 平安京」、私たちの世代の
多くが794年の“平安遷都の年”を
記憶すべく呟いた文言です。
正に、新しき国号とも言える「日本」を
発足させた「天武天皇」でしたが、「道鏡さん」の
登場等も有り、「天武系統の王朝」は、
政情の不安と混乱を招いてしまいました。
770年、「光仁天皇」が、60才を超す齢を以て
(現在に至るまで、即位時の年齢としては最高齢
の記録です。62才。)即位するに到り、「天智朝」への
回帰が果たされます。
息子の“桓武天皇”は、即位するや、早々に「遷都」の
事業に着手します。
先ずは“長岡京”でしたが、風水害で壊滅的な被害を
受け、建設途上とも言える段階で見直しが必要な状況に
なってしまいました。
そこで候補地として浮上したところが“平安京”です。
東、北、西の三方は山で囲まれていますが、
琵琶湖の水運も利用のできる一方、
「難波の津」とを結ぶ水運上も良く、それでいて、
水害の心配の少ないという好立地の土地でした。
早速、唐の「洛陽」、「長安」を模して、都城の建設に
着手しました。
以降、1869年の“東京への遷都”まで、
1077年間に亘っての「日本の首都」としての
役割を果たし続けることとなります。
“平安京への遷都”には多くの意味やその時の
事情が含まれていますが、
大きく言えば“天武朝”から“天智朝”への回帰
であり、南都六宗あたりに代表される、いつの間にか
へばりついてしまった「奈良王朝の垢」のそぎ落とし
が根幹に有ったものと思っています。
「最澄さん」、「空海さん」等を唐へ留学させ、新しく
時代の先端を行く仏教の勉強をさせ、
新興の、密教をも含む仏教の有り方にも
理解を示し、厚い庇護を与えています。
更に、「琵琶湖」を介して、東北地方の経営にも
着手し始めます。
こちらは「坂上田村麻呂さん」に征夷大将軍という
重責を与え、日本の本州東北部まで版図に加える
ことに成功します。
現在に至る、ほぼ「日本」の国土の全域に
到る「朝廷の権威」の浸透に着手した
初めての「天皇」とも言えると思います。
平安京そのものでは、藤原氏の台頭を中心と
しながらも、庶民離れはしていますが、華やかな
「貴族文化」が華開きます。
良かれ悪しかれ、評価は多々ありますが、
私としては、「よくぞ、かくほどの地を見つけたり」
と感心させられるところです。
「天智天皇」の「三韓への関心」から、「桓武天皇」
に到って、地続きの国土に目を転じ得た
その間、100年を要した出来事であったかと
感慨深い思いもするところです。
我家の“リオ君”の
お気に入りの場所は
安城の運動公園の“小山”です。
全面芝に覆われて、
傾斜もなだらかで
“リオ君”の駆け足登山に
うってつけです。
頂上で、のどを潤し、
バナナをおやつに
一幅です。
“リオ君”も楽しみですし、
爺ちゃんの楽しみでも
あります。
これからも、一緒に
一杯楽しみたいね。
“リオ君”です。
今日も一日頑張ります。
よろしくお願い致します。
アンクリエイト

