社)日本麻酔科学会が定めた
記念日です。
1804年11月14日(旧暦、文化元年
10月13日)、「華岡青洲さん」が当時60才の
「乳がんの女性」に“全身麻酔”による摘出手術
を施し、見事、摘出に成功を収めたことを
記念しています。
この時に使用した麻酔薬「通仙散」は、
「華岡青洲さん」が永年に亘り研究し、
作り上げた“手作りの薬”でした。
記録に残る“麻酔手術”としては、世界でも
初めてのことで、アメリカで初めての手術より
40年も先行する画期的なものでした。
「華岡青洲さん」は、江戸時代後期(1760年(宝暦
10年)~1835年(天保6年))、和歌山の医者の家系の
人です。
1966年(昭和41年)、新潮社より出版されました
「有吉佐和子さん」の“華岡青洲の妻”はベストセラー
となり、映画化もされ、我々、一般庶民の間にも
身近なものとの認識が深まったと思います。
「華岡青洲さん」の実母である「於継さん」は、
実験への協力により死亡してしまっています。
妻である「加恵さん」は、失明してしまいました。
後世の人々への「犠牲、生贄、命がけの奉仕」
として鑑みた上でも、言語に絶するものであり、
単純に、諸手を挙げて、肯けるものではありません。
私も、既に9年ほど前になりますが、「大腸がん」の
摘出手術を経験しています。
“全身麻酔”で、手術中のことは、全く記憶に
ありません。
10日間の入院で退院し、今は、3か月に一度の
検診を受けながら、日常を過ごしています。
随分「大きなガン」だったとのことですが、
本人も気づかぬ内に済んでしまいました。
五十年くらい前に、湯河原の海岸で
「雲丹(うに)」を踏んづけ、余りの痛さに
病院に走りましたが、その場で「麻酔なし」での
「雲丹の棘抜き作業」の痛さ、苦痛には
すっかり気力も萎えるほどのものがありました。
天と地ほどの差を思います。
“華岡青洲さん、御母堂様、奥方様”には、
合掌の上、感謝の「ありがとうございます」を
申し上げたいと思います。
我家の“リオ君”と散歩に
でますと、「安城警察署」と
「安城消防署」があります。
「警察署」には、数台の「パトカー」が
止まっています。
しばらくは、観察タイムです。
稀ですが、警察官の人が「パトカー」
に乗り込む場面に遭遇すると、
素早く、手際の良い身のこなしに
「ワー、ワー」と興奮しています。
その先100mほどには「消防署」が
あります。
こちらのすぐ横には「子供遊園地」
もあり、ゆっくりと「消防車」と「救急車」が
観察できます。
朝方などは、広場で「点呼」や「運動」や
時には、消防ホースを使っての「訓練」にも
遭遇します。
車庫に止まっていた「救急車」の発進の
時には、いきなりの「ピーポー」音と
同時に、救急車が出動し、慌ただしく、
迫力のある事態にやっぱり興奮してしまいます。
健康で丈夫な「体作り」を
大事にしたいね、“リオ君”です。
今日ははっきりしない天気ですが、
どんなお客様にお目にかかれますものか
楽しみです。
よろしくお願い致します。
アンクリエイト

