昭和57年、厚生労働省により
定められた記念日です。
目的は、救急業務及び救急医療に対する
国民の理解を深めること、と、救急医療
関係者の意識の高揚を目的としています。
毎年の9月9日を“救急の日”とし、9月9日を
含む1週間(日曜日~土曜日、今年は5日から
11日)を“救急週間”として、消防庁などを中心に
いろいろな催しや行事が行われています。
私の身近でも“救急車”には随分お世話に
なっています。
初めてお世話になったのは、私の“妻”でした。
妻は、「慢性腎炎」で、「人工透析」を受けていま
したが、夏の最中でもあり、「西瓜」を食べ過ぎて
しまいました。
夜、ベッドに寝付いてから、「高カリ血症」のひどい
症状が出て、呼吸も止まってしまいました。
すぐ“救急車”のお世話になり、「安城更生病院」へ
運ばれ、幸いに一命を取り留めることができました。
その次にお世話になったのは「義父」でした。
親戚の法事から帰り、炬燵でアイスクリームを
頬張り、「ああ~、うまいな~。」と言った後、
後ろの壁に寄りかかり、グッタリしてしまいました。
すぐに“救急車”を手配し、更生病院へ走って
もらいましたが、再生はならず、死亡してしまいました。
“大往生の老衰”でした。
その次にお世話になりましたのは「義母」です。
「認知症」もかなり進んでおり、布団に寝付いている
ことの多い毎日になっていましたが、
食欲はあり、孫娘に食事を口に運んでもらう
のを楽しみにもしていましたが、食事がノドに
詰まり「嚥下障害」を興してしまいました。
すぐに“救急車”で「更生病院」へ運ばれましたが、
一命を取り留めることはできませんでした。
その次にお世話になったのは、「妻」です。
妻は、「慢性腎炎」と「拡張型心筋症」という
疾病を抱えていましたが、既に、治療も十数年に
及んでおり、体力的にも著しい消耗の認められる
状態になっていました。
早朝、トイレの方から、私を呼ぶ声が聞こえました。
階段を下り、ひと声かけてトイレを開けると
便座にグッタリしている「妻」がいました。
未だ寝ている娘と息子を大声で起こし、
妻の身の回りの始末をし、抱っこする形で
居間に声を掛けながら運びました。
その途中、グッと妻の重さが変わった感覚が
あります。
子どもたちと救急車を呼ぶ一方、必死で心臓
マッサージをしつつ救急車を待ちましたが、
再生することはありませんでした。
我家は、消防署も近く、電話の後、5分もせずに
救急車も到着したと思いますが、それでもあんなに
永く感じた時間はありません。
せめてもの慰めですが、私の両腕の中で
亡くなってくれたような気持と、小さな声でしたが、
「ありがとう」の声が聞こえたようで、
慰められています。
あれからもう18年にも成るかと
感慨深いものがあります。
明るく、いつも私は口負けをしてしまう
妻でした。
余談に振れ過ぎてしまいましたが、
“救急車の到着”は“神様の到来”に
匹敵します。
今後ともよろしくお願い致します。
我家の“リオ君”は、
救急車の音を聞くと、
“ピーポー、ピーポー”と
口にだします。
「何処かに困っている人が居て、
救急車が急いで向かってくれて
いるんだね。」と言うと、
おもちゃ箱から救急車を持ってきて
自分も走らせて
応援します。
救急車とパトカーと消防車の
大好きな“リオ君”です。
“緊急事態宣言”の延長が
決まりました。
しかし、今回は、
出口を見据えての
緊急事態です。
もう一度気持ちと態勢を
整えて、凌ぎ切りたい
ものですね。
“人間、万事、塞翁が馬”の
格言もあります。
今日もよろしくお願い致します。
アンクリエイト

