1927年(昭和2年)9月1日、

“宝塚少女歌劇団”が日本で初のレビュー、

「モン・パリ~吾が巴里よ!~」の初演を

行った日です。

 

今も、熱狂的な人気を博している“宝塚、ヅカ”

ですが、そもそもは、1913年(大正2年)、

箕面有馬電気軌道の創始者である「小林一三さん」が

結成した「宝塚唱歌隊」を前身としています。

 

当時、宝塚新温泉の室内プール「パラダイス」の

閉鎖に伴い、温泉地の余興として少女たちが

歌を披露するというものでしたが、大好評を得て、

その年の内には「宝塚少女歌劇養成会」と改称され

ました。

 

更に、1919年(大正8年)には、「宝塚音楽歌劇学校」が

設立され、私立学校として認可もされました。

これに伴い、“宝塚少女歌劇団”として発足することと

なりました。

これ以降の新規の構成員は「宝塚音楽歌劇学校」の

卒業生のみとされました。

 

戦前の主なスターとしては、「葦原邦子さん」、「小夜福子さん」、

「天津乙女さん」、「春日野八千代さん」他、数え切れませんが、

ヨーロッパやアメリカでの親善公園なども含め、

国内だけに留まらない活発な活動を続け、人気と好評を

博しました。

 

戦時体制下、“洋風のレビュー公演”は自粛状態と

なり、終戦を迎えました。

 

戦後、1946年(昭和21年)には、“カルメン”と

“春のおどり”の二本立てで公演を再開しました。

 

「越路吹雪さん」、「新珠三千代さん」、「春日野八千代さん」、

「乙羽信子さん」らトップスターを輩出しつつ

活動していましたが、

1974年(昭和49年)の“ベルサイユのばら”の

大ヒットで爆発的な“宝塚フィーバー”を

巻き起こしました。

 

2014年の100周年記念公演以降、

現在にも続く“黄金期”にあると思います。

 

創業時のポリシーであった

①未婚の女性のみで編成する。

②老若男女、誰しもが楽しめる国民劇、を

提供すべく立ち上がった宝塚です。

 

庶民の気持ちをガッチリ捕まえる

「関西人ならではの、気さくさと親しみ」をも

感じさせられます。

ちなみにですが、私の大好きな「八千草 薫さん」も

あの「宝塚音楽学校」の優秀な卒業生の

ひとりです。

我家の“リオ君”は

上手に歌を歌います。

 

今の持ち歌は、

三曲あります。

 

一番得意な歌は

「チョウチョの歌」です。

身振り手振りも上手です。

 

二番目は

「結んで、開いて」です。

こちらも、歌いはじっめる都度、

聞いている人にも

同じ動作を求めます。

聞いているのも忙しいですが、

楽しいひと時です。

 

三番目は

「象さん」です。

象さんのように

お鼻をげんこつで

高くして歌います。

 

なかなかの声量で

頼もしい限りです。

 

“パチパチパチ、リオ君”です。

今年も残すところ三分の一と

なりました。

 

私どものホームページの閲覧からの

お問い合わせが随分増えてきました。

 

事業のリニューアルや再開に向けての

ご相談が多くなってきたように

思います。

 

今日も、充実した、少しでも

お役にたてる一日になりますよう

努力したいと思います。

 

よろしくお願い致します。

 

アンクリエイト