1958年(昭和33年)8月25日、

日清食品が世界初のインスタントラーメン

とされる“チキンラーメン”を発売しました。

 

“インスタントラーメン”とは、熱湯を注いだり、

鍋で煮るだけでスープも同時に調理できる

即席ラーメンのことで、

日清食品の創業者である“安藤百福さん”の

発明が端緒とされています。

 

但し、保存が利き、携帯にも便利な“乾燥麺”は

1956年の「南極観測隊」に携行されたものなど

ありましたが、商品として一般的に大々的に発売

された点で“日清食品のチキンラーメン”が第一号です。

 

丁度、“スーパー ダイエーさん”を始めとする

“流通革命の波”にも乗り、店頭にも、ダンボールに

山積みされ、次から次に売れ捌かれている光景には

日本の戦後の復興から、高度成長へと進む、

時代の迫力も感じさせられました。

 

私の学生時代は1966年からの4年間でしたが、

そのころには「日清食品」だけではなく「明星食品等」

多くの種類の“インスタントラーメン”が発売されて

いましたが、下宿の小さな電熱器を利用して

どれだけお世話になったものか数え切れるものでは

ありません。

 

現代でも、日本国内で年間50億食消費されているとの

ことですが、ダントツのトップは「中国」です。

日本のものよりも「香辛料」が強いようですが、

日本の10倍の消費量を示しています。

韓国や台湾など東アジアの国々が中心ですが、

日本は5番目という位置づけです。

 

又、世界で一番の“インスタントラーメン”の

製造メーカーは、台湾の製造会社になっています。

ベスト10には日本からも数社が踏ん張っていますが、

ここにも日本の停滞振りが現れてもいるようです。

 

“学生時代”を思った時、全く飛んでしまいますが、

“旭川の女子中学生の凍死事件”が頭に

浮かんでしまいました。

 

イジメに関わった、上級、同級、下級の生徒達の

詳細については、情報も不足しており、感想も

持ち得ませんが、担任、教頭、校長先生達の

口裏を合わせたかのような論評には呆れさせられる

ものがあります。

 

一人の命と十人の命とに当たり前のように

軽重を付けたコメントをしています。

人の命に“軽重を付ける”教育をどこで

受けてしまったのか、胸が痛みます。

 

“総理大臣の命も庶民の命も比較できるもの

ではありません。”

最も基本的なところで、どうしようもない理解を

してしまっていると

“校長あるいは教頭先生が生き残るためには、

他の人の命の犠牲(人柱)も必要だ。”という

局面が、誰しもの人生に必ず直面する時がある

ことを知っておくべきと思います。

 

今回の“校長や教頭”の発言が、

現在の日本の教育界の大勢を占めていると

すれば、それこそ取り返しのつかない、

日本の国家、国民のプライド、モラルの崩壊に

繋がっていると思います。

 

何たる国に、教育界に成り下がってしまった

ものかと忸怩たる思いです。

 

横道に入ってしまいましたが、

被害者、少女には心からご冥福を

お祈り申し上げます。

 

私の小学、中学、高校時代の私に関わって

下さった先生方には“私だけ恵まれていた”

ということでは無いと思うのですが、

時代の流れの中で、得も言われぬ

寂しさを覚えます。

我家の“リオ君”は、

皆で遊ぶのが大好きです。

 

男も女もありません。

今は、“かけっこ”で賑やかに

競走?しています。

 

横から見ていますと、

負けても嬉しいようで、

もう一つ物足りなさも思いますが、

勝った子もゴールまで

全力で走ったことが嬉しいようで

勝者ぶることもありません。

 

幼子たちの上手な遊び方、

思いやりのやりとりには

感心させられる場面が

一杯です。

 

大人になった我々にも

忘れてしまっていますが、

あんな時代がみんなあった筈と

胸を打たれるものがあります。

 

“よかったね、リオ君”です。

パラリンピックが始まります。

 

一人一人、それぞれに大なり小なりの

障害を抱えての、

努力の発表会です。

 

又、感動の連鎖を巻き起こしてくれる

2週間が目に見えます。

 

一方、緊急事態宣言の対象に

又、愛知県も入ります。

 

パラリンピックの選手の

ガンバリを思えば、

充分可能な“セルフコントロール”です。

 

“お互い様”を胸に、

今日も気を引き締めて臨みたいと思います。

 

よろしくお願い致します。

 

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