1978年(昭和53年)、全国農協組合連合会が

毎月の8日を“米の日”と制定しました。

 

減少し続ける米の消費、若者の「米離れ」に

歯止めをかけ、米の消費を拡大させる目的で

制定されました。

 

米を作るためには、“八十八の手間が掛かる”こと、

米の文字を分解すると“八十八になる”ことを

由来としており、いつの間にか、八月十八日が

一年に一度の“米の日”とされるようになっています。

 

日本の“米の歴史”に少し触れてみたいと

思います。

縄文時代の中期(3000~4000年前)に始まっていたのではと

いう形跡が“縄文土器”などに見られます。

 

縄文時代の晩期から弥生時代の早期には、

“水田耕作”の遺構が存在しています。

 

米は“長い保存”に耐えられる食品であり、

“租税”や“石高制”に代表されるように

日本の政治経済の中心に置かれつつ

歴史を紡いで来ています。

 

日本人の“米に対する思い入れ”の強さの

大きな要因ではと思います。

 

但し、“食料品”、殊に“主食”としての位置づけに

付いてみて見ますと、必ずしも日本人の全てを

網羅するような位置づけでは無かったようです。

 

階級や貧富、地域により大きな違いがありました。

つい先ほどの、昭和の“高度成長期”までは、

関東地方の畑作地帯の人々の主食は

“麦、粟、稗が8割”を占めていました。

一方、秋田県などの“米どころ”では、

白米が常食になっていました。

お米以外の野菜などの生産が少なかった

こともあります。

 

ともあれ、それまでの日本の長い歴史の

中で“お米の占める位置づけ”は、

その時々の社会や政治経済を典型的に

反映させ得る存在であり、“一揆、米騒動”など

繰り返し引き起こされた時には、

その“主役”の役割を果たして来ました。

 

1939年(昭和14年)「米穀配給統制法」が制定され

米の流通が政府により管理されるものになりました。

 

しかし、高度成長期以降、消費量の減少が

顕著なものとなり、生産者米価が消費者米価を

下回る事態が恒例化し続ける状況に

到りました。国民健保、国鉄と共に「3K赤字」と

呼称され、1995年「食糧管理法」は廃止となり、

政府の管理、関与度は低下されつつあります。

 

私なども、“お米”で育った世代です。

“ご飯と言えば、おこげまで含めて白米”です。

何回繰り返しても“飽きのこない、美味いと思える”

食品です。

 

田植えから、田んぼの草取り、水廻り、稲刈り、

脱穀、精米など一通り経験もしましたし、

その時その時の“親兄弟の顔や風景”も

ハッキリと頭に残っています。

 

“お米の大ファン”です。

我家のリオ君も

“ご飯が大好き”です。

 

いろいろ味付けをしたり、

混ぜたりしたものよりも

“真っ白なご飯”の方が

食が進むようです。

 

みそ汁と“ツクダ煮”と

ご飯が有れば満足な気配です。

 

“質実剛健”を思わせますが、

ちょっとこちらへ“引っ張り過ぎ”かもと

反省します。

 

幸い、アレルギーも無いようですので、

何でもモリモリ口にしてほしいと

思います。

 

元気で大声の“リオ君”です。

“まん防”の対象区域が

拡大です。

 

パラリンピックも

始まります。

 

ここが日本の底力の

見せ所のようにも思います。

 

ハッキリと出口が視野に

入りだすのも近いと思います。

 

今日の一日も

後悔に繋がらないよう

大事にしたいと思います。

 

よろしくお願い致します。

 

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