今は“コロナ禍”の中、“東京オリンピック”の

真っただ中ですが、1928年昭和3年()の今日も

“アムステルダムオリンピック大会”が

行われていました。

 

“アムステルダムオリンピック”の今日、

「男子三段跳び」で“織田幹雄さんが金メダル”、

「女子800m」で“人見絹枝さんが銀メダル”を

獲得しました。

日本として初めてのことで、それを記念しての

記念日です。

 

“織田幹雄さん”につきましては、

余りにも有名で、私の子供時代にも

“織田先生”という「小学校でも一番怖い先生」が

居り、確か、お寺の出身か、住職を兼ねて

いましたので“兎に角、声が大きく、迫力が

半端ない”ため、先生の前に立ったりする時には

ついつい背筋も「ピシッ」と伸びてしまうような

印象があります。

その“織田先生”が織田幹雄さんの話を

よくしてくれた思い出があります。

 

“人見絹枝さん”につきましては、

本当に短い生涯でしたが、

未だにその早過ぎた“死”を

惜しまれている存在です。

 

“人見さん”は、1907年(明治40年)、岡山県の

生れです。

こちらも半端ない“お嬢さん”だったようです。

 

小学校時代の逸話ですが、

男子の間で行われる“天下取りゲーム”に

参加し、いつも一番を取ってしまったり、

帰校時には、二階から飛び降りて

一目散に走り去ったなど、

相当“活発な女の子=お転婆さん”だったようです。

 

国語、文学系の成績も優秀で、

“文武両道で秀でた女の子”でした。

 

オリンピック当時の身長は5尺6寸(約170センチ)、

体重は15貫(56㎏)と当時の日本人としては

並外れた体格でもありました。

(現代の「大谷翔平さん」)を思わせるものがあります。

 

オリンピック前後の最盛期には、

100m、200m、走り幅跳びの“世界記録保持者”

でもありました。

 

1931年(昭和6年)世界大会に出場し、

帰国後も、休むことなく各地での講演報告会や、

御礼回りなどの活動中、体調を崩し、

“肺炎”を併発し、亡くなってしまいました。

 

“女の子が真っ黒に日に焼けてしまうような

運動などしたら、お嫁の貰い手もありません。”

などという風潮が支配していた当時の日本に

あって、自身の身をもって将来を差し示し

切り開いていった生涯だと思います。

 

“計り知れないほどの、魅力”のある

女性であり、生涯であったと讃えたい

気持ちです。

我家の“リオ君”は

小公園の小山に登ったり、

スベリ台やブランコ、

グランドでの駆け足、鬼ごっこ

など、

外遊びが大好きです。

 

日中の厚さで、

どうしても運動不足に

成りがちです。

夕方から散歩に出かけますが

これはこれで“フワ~とした風”が

肌に気持ち良く、ついつい遠くまで

足が伸びてしまいます。

 

お母さんには少々心配させて

しまいますが、

又、暫くは繰り返してしまいそうな

気がします。

 

楽しすぎるね、“リオ君”です。

いよいよ8月ですね。

ワクチン接種の5割超えでの

“コロナ”の鎮静化、

 

オリンピックの後半戦への

突入、

 

それぞれが“締めくくり”を

目指します。

 

皆の“我慢”にも目途がつきますよう、

正念場を自覚して頑張らないと

いけないですね。

 

今日も一日、

よろしくお願い致します。

 

アンクリエイト