“まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。

小さなと言えば、明治初年の日本ほど小さな国は

なかったであろう。”

司馬遼太郎さんの“坂の上の雲”の冒頭の

一説です。

 

1853年(嘉永6年)、黒船艦隊4隻が江戸湾の

浦賀に来航しました。

アメリカ大統領“フィルモア”から、“日本皇帝陛下”

宛ての国書を携え、神奈川県横須賀市久里浜で

その受け渡しを行いました。

 

これを受けて、1855年(安政2年)、批准書の交換を

経て、“日米和親条約”が締結、成立しました。

通常、これをもって“日本の鎖国政策”は終了した

とされています。

この時には、「下田と函館」の2港がかいこうされました。

 

更に4年後の1859年(安政6年)には、総領事“ハリス”との間で

“日米修好通商条約”が締結され、「函館、神奈川(横浜)、長崎、

新潟、兵庫(神戸)」の5港が開港されました。

この五港には、それぞれ領事の駐在を認め、

自由貿易と信教の自由を保証するものと

なっています。

 

“特命全権大使、ペリーさん”の来航から、

僅か15年で日本は“明治維新”を迎えます。

 

徳川将軍家を頭に据えた“江戸幕府”から、

天皇親政への復古を旗印にする“維新政府”に

政権も移譲し、ちょんまげの廃止レベルまで

一挙に欧米列強の仲間入りを果たすべく

“富国強兵”にひた走りだします。

 

国も小さければ、体も小さな国民が、

洋装で写真や社交の場に登場し始めます。

さぞかし、ゴタゴタの中にも、

活気に満ちた時勢であったのではと

思います。

 

秋山兄弟の今の世では想像もしにくい

懐かしさ満杯の逸話など、

“日本大好き”が培養されて当然かとも

思わせられる時代に入る端緒だと

思います。

我家の“リオ君”の体調が

戻りません。

 

昨日、医者に診てもらい、

“ただの風邪”という診断を

頂き、薬ももらったのですが、

“喉がいがらっぽく、胃腸の調子も

良くない”ようで、薬や食べ物を

無理強いしてもすぐに吐き出してしまいます。

 

咳き込みをすると、熱も上がり、

37,9度も記録してしまいました。

咳き込みの無い時には、

37度強程度ですが、

グズグズと続いているのが

気にかかります。

 

お薬を飲んで、

おとなしく布団に入り

養生して欲しいものですが

じっとしていてはもらえません。

 

大苦戦の家族です。

今日は何とも忙しいだけで

半日が過ぎてしまいました。

 

今の今からの半日は

しっかりと、落ち着いて

仕事に向かいたいと思います。

 

よろしくお願い致します。

 

アンクリエイト