日本人と技能という言葉は

日本人ならではの関わりと

とらえ方をしているように思えます。

 

私の私見ではありますが、

日本人の特別な能力的な

側面を見るよりも、

寧ろ、人間に限らず、動物全体

どころか生物それぞれの必要に

迫られたうえでの執念の産物のように

思えます。

 

私の知人ですが、彼には生まれながらに

両手が根元の部分からオットセイ状で

両手が無いも同然の体形で生まれ落ちました。

 

私がそんな彼を知ったのは、

立派に成人してからのことですが、

既に、彼は通常の健康人の手足の

働きはすべて二本の両足で済ませる

ことができるようになっていました。

 

自動車の運転も、日常の食事も、

仕事とする製図も、もちろん排泄や

洗顔、風呂、布団の上げ下げなど

いとも器用にこなしてしまいます。

 

そんな所作は、私を含めて

見慣れていない人々にとっては

どうしても興味が惹かれ、人々の

視線を集めてしまいますが、

最後までキチンとこなしてしまいます。

 

窮鼠猫を噛むとの

ことわざもありますが、

集中力、根気、体力といった

根源的な力を必要とするもののように

思います。

決して、片付け仕事の延長のような

手先が器用というレベルのものでは無いと

思います。

 

印刷関係でも、印刷機の発明されて

以来、人的な技能と印刷機械との

大方は助け合い、時には騙しあいが

繰り返されて来ています。

 

技能という文言の奥の深さに

思いが至る心地です。

 

アンクリエイト