環境への関心が強くなりだしたのは
確か東京オリンピックあたりからでは
ないでしょうか。
ハード面では下水道が普及しだし、
ソフト面では、男性の大人は平気で痰を
道路端に吐き、手にしたタバコも至る所へ
投げ放題でした。
道路わきの側溝や、小川は廃物や汚水で溢れ
排水溝から大きな河川へ放流のし放題でした。
家庭で出る生ゴミや、汚物も空き地や物陰に
散乱しているのが日常でした。
電車や新幹線、バス等の公共交通の車内にも
必ず灰皿があり、いつも溢れていました。
タバコを美味そうに吸い、当たり前のように
投げ捨てる姿が男らしく恰好が良いものと
少年たちにも憧れさへさせたものです。
今や、間接的な煙害被害まで受け入れられ、
タバコの包装容器そのものに健康への
有害性が謳われる時勢になっています。
有害な工場排水や、鉱山の有毒物質、
建築資材に使用された有毒物質など
一つだけの世代では解消できないほどの
悲劇や事件を経験してきましたが、
未だに原子力発電という、一つ間違えれば
何万年にも及ぶ被害を蒙る可能性のある
素材について、明確に放棄する対策は
取られておりません。
人間の一度得た権益に対する執着心の
故と思います。
駄目なものはダメと律することは
理の当然だと思います。
後になればなるほど、無用の費用も
嵩みます。
原発はもうやめましょう。
アンクリエイト