今年も原爆の日を迎えることが

できました。ありがとうございます。

人は、それぞれの一生の中で、

本当に僅かな楽しい時と、圧倒的に

多くの時は、辛さ、苦しさ、寂しさや

悲しみの気持ちで過ごしてきているように

思います。

 

私には兄弟同然に育った従兄弟がいます。

今は、仕事も退職し、住居地の区長さんや

老人会長をするかたわら、近くを流れる矢作川の

植生や鳥類等の頒布状況を調べたり、川の

地形や地質を源流から河口まで調査すべく

カメラを片手に飛び回り、一面、なかなか

上達を期せぬ囲碁を我々一同と飽きもせず

闘わせていますが、

 

その彼の父親は、第2次大戦の傷痍軍人として

復員し、家で養生していましたが、従兄弟が

歩きはじめて間もなく亡くなってしまいました。

その叔父の妹が私の母にあたりますが、

母は、その従兄弟を自分の子供たち以上

くらいに可愛がり接してきています。昔のことですが

不思議に思い、どうしてそんなにミっちゃん(従兄弟の

愛称です)が大事なのか、聞いたことがあります。

 

答えは簡単でした。母の兄である叔父は、

白い寝間着で、ほとんどの時間を縁側で

寝て過ごしていましたが、その縁側の縁に小さな

顎を乗せ、歩き始めたばかりのミっちゃんが

いつも叔父の方を見ていたものだよというのが

その返事でした。

 

直感かもしれませんが、子供心にそれ以上の

問いかけは全く思い浮かびませんでしたし、

僕も母と同じようにしたいと思いました。

 

広島の日には、毎年そんなことが

思いだされます。