いじめの連鎖(2)
朝青龍は、相撲協会にとって、守るべき大切な我が子ではないのか。
遠くモンゴルからやってきて、角界という厳しい世界に飛び込み、なれない習慣になれ、言葉の壁を越え、厳しい稽古に耐え、その世界の頂点まで上りつめた。その生き方は、尊敬に値すべきではないか?そしてその後、一人横綱という地位を何年にもわたり維持し続け、相撲協会に多大なる貢献をした、相撲協会にとって誇るべき息子ではないのだろうか?
彼の言動に難がある感は否めない。それが横綱としてふさわしからずと言われることも理解できる。でもそれは、教える側の責任という側面も同時に浮き彫りにする。
「あんたの親の顔が見たい。」
子供が悪いことをすると、昔の人は本人にそう言って聞かせた。この言葉自体僕は好きではないが、子供が悪いことをするのは親の責任、そう言ったニュアンスがこの言葉には込められていた。
今回の件で非難されている高砂親方はもちろん、相撲協会にだって、教育責任はあるはずだ。横綱がつたない立ち振る舞いをし、それを非難することは、自分たちの教育が間違っていたと公言することに等しいと僕は思う。朝青龍がもてはやされる時期はその言動を黙認し、いざケチがついてマスコミや世間のバッシングが始まると、まるで自分は第三者であるかのように当人や自分の下の人間(親方)を口さがなく非難する。これが分別のある大人のやり方だろうか?
自分の力を笠に着て、自分より弱い立場の者を苦しめる。
日本語で、これを「いじめ」と言う。
「横綱の今回の立ち振る舞い(バンザイ)は、力士の頂点に立つ者の言動として品格に欠ける。しかしながら、その言動は、横綱自身が苦しみの果てに優勝という栄光にたどり着いた喜びの発露であると我々は考えています。今後、朝青龍関には再び強い横綱として、肉体面においても精神面においても他の力士のお手本となるよう、我々は期待しています。横綱としての品位、適正な言動に関しましては、我々相撲協会が全力を持って教育していきたいと考えております。どうかこれからも朝青龍そしてたくさんの力士たちを応援していただきますよう、よろしくお願いいたします。」
このくらいのこと、言えるとかっこいいのになあ。
遠くモンゴルからやってきて、角界という厳しい世界に飛び込み、なれない習慣になれ、言葉の壁を越え、厳しい稽古に耐え、その世界の頂点まで上りつめた。その生き方は、尊敬に値すべきではないか?そしてその後、一人横綱という地位を何年にもわたり維持し続け、相撲協会に多大なる貢献をした、相撲協会にとって誇るべき息子ではないのだろうか?
彼の言動に難がある感は否めない。それが横綱としてふさわしからずと言われることも理解できる。でもそれは、教える側の責任という側面も同時に浮き彫りにする。
「あんたの親の顔が見たい。」
子供が悪いことをすると、昔の人は本人にそう言って聞かせた。この言葉自体僕は好きではないが、子供が悪いことをするのは親の責任、そう言ったニュアンスがこの言葉には込められていた。
今回の件で非難されている高砂親方はもちろん、相撲協会にだって、教育責任はあるはずだ。横綱がつたない立ち振る舞いをし、それを非難することは、自分たちの教育が間違っていたと公言することに等しいと僕は思う。朝青龍がもてはやされる時期はその言動を黙認し、いざケチがついてマスコミや世間のバッシングが始まると、まるで自分は第三者であるかのように当人や自分の下の人間(親方)を口さがなく非難する。これが分別のある大人のやり方だろうか?
自分の力を笠に着て、自分より弱い立場の者を苦しめる。
日本語で、これを「いじめ」と言う。
「横綱の今回の立ち振る舞い(バンザイ)は、力士の頂点に立つ者の言動として品格に欠ける。しかしながら、その言動は、横綱自身が苦しみの果てに優勝という栄光にたどり着いた喜びの発露であると我々は考えています。今後、朝青龍関には再び強い横綱として、肉体面においても精神面においても他の力士のお手本となるよう、我々は期待しています。横綱としての品位、適正な言動に関しましては、我々相撲協会が全力を持って教育していきたいと考えております。どうかこれからも朝青龍そしてたくさんの力士たちを応援していただきますよう、よろしくお願いいたします。」
このくらいのこと、言えるとかっこいいのになあ。