みなさんこんにちは
土曜は、いつもより少し早く起きて、
ちょっとした用事を済ませてきました。
あまりコンディションはよくなかったんですが。
実は、
深夜〜未明にかけて、
動悸と大量発汗に見舞われ、
全とっかえの下着まで全身ビッシャリコースと
なりまして、その上、それで脳が覚醒して
しまったようで、3:30以降1時間おきに
覚醒することとなり、結構疲れた寝起きを
迎えました
でも、行きたかったので、行ってきました。
このお出かけについては、改めて、
アメ限記事にて少しご紹介したいと思います。
で、
ここでは、タイトルの
マズくない?
と思ったことについて書きます。
そう思ったのは、
今日の行きの電車の中のことでした。
比較的空いている車内。
長椅子は乗客で埋まっておりました。
そして、吊り革につかまって立っている乗客は
車両に3、4人程度といったところでした。
で、
その満席の長椅子に座る客の中には、
幼児2人(男児)と父親1人
の姿がありました。
まぁ、一見普通の光景です。
でも…
その様子を見て私は
マズくない?
と思ったんです。
もう少しハッキリ書くと、
子どもの靴、
脱がせてよ。
です。
こういうことが、
昔から、
どうも気になってしまうんですよね〜
(歳をとったから気になり始めたというわけではない)
で、この日もそれでした。
ちなみに、
おとーさん(と思われる中年男性)、
スマホ→寝る
でした。
小さい子どもが、窓の外の景色をて
眺めている様子って、
かわいらしいだけでなく、
その好奇心旺盛な姿に無限の可能性を感じる
微笑ましいものだと
私は思っているのですが、
その子どもたちが
靴を履いたままシート座席によじ登り、
窓枠に手をかけ、
座席に膝をついて、
ミーアキャットのような格好で外を眺めている
姿を見ると、
どうして親は靴を脱がさないのかな?
何とも思わないの?
といつも疑問に思ってしまうんです。
私は子どもの頃によく、
母に脱がせてもらってから窓の外を眺めて
いた記憶があります。
後になって母は、履かせるのが大変だった。
と言っていましたが、当時は
どうして靴を脱がねばならないのかを
子どもの私にちゃんと説明してくれていた
のを今でも覚えています。
そういうこともあってか、
こういうことは、
どこの家も家庭教育の一環として行っている
ことだと思っていたのですが、
近年、靴を脱がさない親とよく行き合います。
今日もそうでした。
で、思ったわけです。
その靴、
脱がせてよ。
みんなで使うところなのに、
マズくない?
と。
これって、
靴を脱がさないことが
マズイことなのだということが
わかっていない
ということなのでしょうか?
そんなことってあるんでしょうか?
不思議です。
一体全体どういうことなのでしょうかねぇ?
これもいわゆる
宇宙人ということなのでしょうか。
公共の座席に子どもを座らせる時に、
公共の座席や
お隣に座っている乗客の方の洋服や持ち物を
我が子が土足で汚してしまうかもしれない。
ということや、
汚してしまったら、
自分達が降りた後であっても、
その座席に座った人を汚してしまう。
それは、
他人様に迷惑をかけてしまうことになる。
悪いなぁ…
申し訳ないなぁ…
という考えに、
親はどうして至らないのでしょう?
こういう公徳心みたいなものって、
学校でだけ教えればどうにかなるというもの
ではなく、人としての生き方のベースになって
いくものの1つだと思うので、
幼児期に家庭でしっかり教育しておくべき
大切なことだと思うんですよねー。
今は指摘されると
「そんなこと〇〇には書いてありませんでした!」
(一昔前の「そんな法律誰が決めた!」てのと似てますね)
と責任転嫁ともいうべき言い訳、言い逃れを
しがちな社会風潮があるように思いますが、
私に言わせれば、
そんな程度のこと、いちいちルール化して、
書いて示す程でもないよ。
なぜなら、そんなの常識だから。
(エジソンは偉い人♪ぐらいの常識だよ。タッタタラリラ〜)
なんですが、
そういう常識みたいなものが通用しないことが
当たり前の社会に、社会自体が変容していくの
ならば、そんな世の中で、一定の社会秩序を
保っていくことは不可能になる時代が来てしまう
かもしれません。
そうなったら、
私のせいじゃない!!
と叫んでいた人たちは、
一体どうするんでしょう?
極端なことを言えば、
箸の上げ下ろしまで法律化していくということに
なりかねません。
まぁ、これは現実的でない、かなり飛躍した話
ですが。
話を戻すと、
言うまでもないことですが、
家庭教育って、
本当に大事だよな〜
子どもは何もわからないのだから、
親が教えてあげないと、
マズくない?
ということを感じた土曜の朝でした。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。