竹島は1951年9月に日本領と確定も韓国が一方的に自国領編入 | 迷惑な隣人

竹島は1951年9月に日本領と確定も韓国が一方的に自国領編入

韓国・李明博(イ・ミョンバク)大統領が突如、強行した竹島への上陸。


その影響について、これらの問題にくわしい東海大学海洋学部の山田吉彦教授は「日本にとっては、さらに厳しい状況になると思います。国の代表たるものが、あえて島に行って、韓国が実効支配しているんだということを、国内外に対して知らしめている」と語った。


島根・隠岐の島町にある竹島は、日本海に浮かぶ2つの小島を中心とした群島。
外務省によると、1846年に刊行された古地図には、竹島が記載され、すでにその存在が認識されていたことがわかる。


かつて、竹島で行われていたアワビ漁の様子を語ったのは、隠岐の島の漁師の八幡尚義さん。
八幡さんは2006年、「アワビは当時、ものすごくいた。採っても、また次の日は、同じくらいの量が出ていた」と語った。


日本では、遅くとも江戸時代初期の17世紀半ばには、漁場として竹島を利用し、領有権を確立。
明治38年(1905年)の閣議決定により、竹島と正式に命名され、島根県の一部となった。
朝鮮の独立承認を規定した1951年9月のサンフランシスコ平和条約でも韓国側の主張は退けられ、竹島は、日本の領土として残ることが確定した。


山田教授は「古文書の信ぴょう性は、常に議論になってしまう。日本は『日本側の主張が正しい』と。韓国は『韓国の主張が正しい』と。これの判断には時間を要します。竹島は、サンフランシスコ平和条約の中で、日本の領土として認められている土地です」と語った。
ところが、翌1952年1月、韓国側が一方的に竹島を自国領に編入した、いわゆる「李承晩ライン」を設定した。


日本の漁船がこのラインを越えると拿捕(だほ)され、韓国側による発砲事件も相次ぐ事態になった。
その後、韓国が竹島の実効支配を開始すると、日本側からは竹島に近づくことさえできない状態となった。
八幡さんは「それは、もう一度、行ってみたい。昔の面影はないと思うけど。やっぱり、竹島に行けるなら、もう一度、行ってみたいですね」と話していたが、その思いはかなうことなく、2008年に亡くなった。
竹島を独島(ドクト)と呼び、占拠を続ける韓国ではさらに、独立の象徴として島の観光地化を進め、2011年の竹島訪問者数は、17万人と過去最高を記録した。


さらに、大型旅客船が接岸できる埠頭(ふとう)などの観光施設建設まで計画。
2012年6月には、与党・セヌリ党の幹部も上陸するなど、実効支配を強める中、ついに10日、初めてとなる韓国大統領による竹島上陸が強行された。

島根県の溝口知事は「怒りはありますけど、怒りと交渉は、また別の話。相手がどう考えても、われわれの主張は正しいという信念のもとに、努力をしていくことが一番大事です」と語った。


韓国大統領府関係者は、今回の上陸について、「自然保護を訴えるための視察だ」と説明。
日本政府は、外交ルートを通じ、訪問中止を要請したが、韓国側はそれを聞き入れなかった。

平野文科相は「強く抗議する立場でならないと」と述べた。
枝野経産相は「大変大きな悪影響を与えるのは間違いない」と述べた。
日韓関係が極めて悪化するのは避けられず、政府は対抗措置として、韓国駐在の武藤大使を東京に召還するほか、韓国の駐日大使を外務省に呼んで抗議するなど、厳しい対応をとる方針。
山田教授は「まずは、国として明確に意思表示をする。1つは国会での決議。韓国に対する非難の決議。強く打ち出すのであれば、漁業協定の破棄ということも含めて」と語った。