「報道を受けて」の反省の記

 

吉幾三さんの告発が功を奏しました。

天はご覧になっているのです。

 

𠮷田松陰が、評定所で「死罪申し渡し」の裁決を受けて生涯の絶句を謳い上げました。「吾今國の為に死す、死して君親に負(そむ)かず。悠々たり天地の事、鑑照明神に在り」の五言絶句の漢詩を大音声でうたいあげた。

評定所では、私語が禁止されている。

そのため、𠮷田松陰は隣席者、関係者に聞こえるように大きな声を出しだのです。

 

最後の「鑑照在明神」は、神々は私の行いの正しさをご覧になっていると心の内を吐露したのであった。

 

さらに伝馬牢に戻り、刑場に引かれていくときに、死刑執行人(山田浅右衛門)ほかの人々に、「久しくご苦労をおかけいたしました」と丁寧にあいさつした。そして、最後に懐紙を取り出し「鼻をかみ候はん」として、心しずかに用意してうたれるとなり。とあります。この記事が「依田学海日記」に記されている。

その見事な最期は、死刑執行人であった「山田浅右衛門」が、明治になって天晴な最期を称える回顧談を語っています。

 

私は、国会議員には「𠮷田松陰」と「上杉鷹山」(特に次期藩主に書き残した『伝国の辞』を読んでくださいと云い続けている)の人生、評伝を読んで欲しいと主張しています。ケネディ元大統領が、就任演説の後、尊敬する日本人はと聞かれ、それは「上杉鷹山」ですと即答したのは有名な話です。それは、「伝国の辞」の内容が、民主主義のお手本だからです。民を慈しみ、国家の為に率先して尽くし、なおかつ国家は先祖の努力を引き継いだもので、私有する考えを明確に否定している。

 

話を元に戻すと、長谷川岳議員の横柄な態度、言動はきわめて不適切で、およそ国会議員に相応しくないのであります。

大いに反省してくれるのは結構なことで、それを胸に職務を全うして欲しいのだ。

率先して、国民の前に模範を行動で示してほしいのです。