森田先生はそれまで、神経衰弱としていたノイローゼの病名を否定した。

ガリレオが宗教裁判にかけられて、地動説を否定されたとき、

「それでも地球は動く」との名文句を残したと云われる。

 

森田先生曰く「余の神経質学説はコペルニクス的転回」と云った。

新説が受け入れられるまでの道のりは、はるかなほどに長いのであります。

常識が覆るということは、それだけ大変なことなのである。

 

ここで、私の体験記を書いてみます。

私は、昭和48年5月に結婚した。

その半年前から、運悪く、会社での仕事がとても困難な得意先を、

定例の人事異動で担当させられていた。

内心では、こんな状況で結婚なんて? と困っていた。

毎日が精神的な地獄を味わう仕事で、ほとほと困っていた。

 

新婚生活の楽しみどころではなかったのが、本当のところであった。

当時は風呂なしのアパートは普通で、お風呂つきのアパートは高価な家賃。

そんなことから、近くの銭湯へ毎晩通っていた。

 

 

その時である。

体を石鹸で洗い、泡だらけの状態であった。

なぜか、ふと「こんな時にトイレ(大)に行きたくなったらどうしよう」?

こんな思いが、突然に頭をよぎった。

 

そのとたん、「ダダダダダ~」と心臓が躍り出した。

瞬時に「死の恐怖」が頭をよぎった。

濡れた体を拭き取るのももどかしく、自宅に舞い戻った。

 

体を横たえても、胸の締め付けられる苦しさは変化なし。

少しして、近くの道を散歩して気分転換をはかった。

だが、まったく効果が無かった。

 

 

 

精神的な衝撃が大きかったので、翌日からはトイレのないところが困った。

三鷹駅までの10分程度のバス乗車がこわいのである。

全身緊張で、わずか10分の乗車中、「トイレを催さないように」と祈った。

つづいて、三鷹駅から四谷迄の中央線乗車となる。

酷い時には、二分間隔の駅ごとにホームに飛び出し、深呼吸をして乗りなおす。

 

吉祥寺、荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺、中野、新宿、四谷の僅か七駅、所要20分強。

四谷の会社へ着いた頃はヘトヘト状態。

続いて、職場の朝礼。トイレを催したらと常に最後尾に立つ。

毎週の金曜日は、営業会議で約60分かかる。

トイレが心配で、会議中に席を外すことを極端に恐れた。

 

会議を聞いていない? また席を外した!

会議の内容が、耳に入らない。

緊張で、ノートが取れない。

ミミズがのたくったような、他人からは読めない文字が続く。

 

食事をとれば、トイレを催す ⇒ 食事量を減らせばよい。

四谷から日本橋の百貨店へは、地下鉄利用か、さもなくば中央線神田駅まで。

堪える努力より、恐怖感との闘いが続く日々だった。

 

これらは、総て誤った行動である。

陣式が現実離れしている。

「あるがままに、なすべきをなす」森田の教えと正反対の行動。

トイレを催さないことが人生の目的みたいになった。

これを読んだら笑う人が多いに違いない。

 

強迫観念の悩みは、事実から遊離して「手段と目的の取り違え」となる。

一般的な成人ならトイレは、大なら一日一回。

小ならば四時間おき程度と、医者もどきの先生との会話で知った。

なるほどと理解はしても、恐怖の感情論が常に先立つ。

 

これを繰り返す毎日は、「習い性となる」で、トイレ恐怖の状態化。

トイレのついてない電車、特急電車、新幹線、飛行機、すべて恐怖の対象。

こうした「やりくり」の過程を「精神交互作用」といって、

神経症への道を歩むことになる。

 

強迫観念は恐ろしい!

但し、事実でなく、感情論先行の思考となる。

大病院のカルテでは「神経症」または「不安神経症」と書かれる。

幼時から「トイレ」は恥ずかしいもの! という、観念先行型の思考。

まるで、条件反射のように思考回路が出来た。

 

不安神経症とか広場恐怖(アゴラフォビア)と「恥を回避」が習慣化した。

森田先生が健在ならば、即入院して指導を受けたい。

事実、苦しくて苦しくて、恐怖観念から逃げ回った。

努力方向を誤った行動でますます悪化させた。

 

私の神経症のきっかけであります。

それは銭湯のトイレ懸念から始まった。

同時に、それは適応不安の強い時に経験した「恐怖の感情体験」だった。