4月28日、星野富弘さんが亡くなった。

昭和45年6月17日(水曜日)17:00頃、赴任先の高崎市倉賀野中学校の放課後の部活指導中、前方回転の踏切台のタイミングを誤ってしまい、「頚髄損傷」という大怪我を負った。翌日からから二泊三日で高原学校に引率予定だったそうです。

 

大学で体操の選手として、国体にも出場した。教師になって二か月半で、不運な事故が襲った。星野さんは私の生誕した隣村の中学出身で同学年だ。

怪我の事は姉から聞いて大変に驚いた。

 

 

確認してみたら、星野さんが怪我した日は私の郷里の中学校で教員免許取得の為教育実習をしていた。それも実習先の中学から延長願いを依頼され、一緒に始めた仲間は既定の実習期間を終えて東京に戻っていた。私だけ一週間延期した、その時の事故である。54年前の教育実習日誌は、まだ記念に保管してあり6月17日の項に鉛筆で「星野さんが怪我をした日」とメモ書きがしてある。

 

体験記『愛、深き淵より』は繰り返して何度も読んだ。事故の瞬間の記述は胸が締め付けられるほどの衝撃でした。頚から下が動かせない大怪我で、苦闘の日々が続いた後に、口に筆を加えて詩画の創作に取り組むことになる。

 

 

五十年余りの期間に1000を超す絵や詩を創作し、本の著作も数冊出している。

多くの人が感動をし、郷里の「富弘美術館」の訪問者は700万人を越したという。私も帰省の時に二度訪れている。最初の時は胸が締め付けられる思いだった。

 

渡良瀬川の上流にある草場ダムに隣接した、国道122号線沿いに記念館は立っている。大変な思いを克服して、詩画の創作に生き甲斐を見出し78年の生涯を全うした人生。不運にめげず頑張った人生を心から称えたいと思う。

 

 

面識はなかったが、同学年、教師の勤務中ということで他人事には思えなかった。

星野さんの中学校は東村、私の中学校は黒保根村で、隣村だったことから体育会などで交流があった。私も訪問経験がある。

 

ご冥福をお祈りします。合掌