上の写真は森田正馬生誕百年記念事業、

として全集、全七巻と、門下生の著

になる、森田正馬評伝です。

 

昭和四十九年(1974)に刊行されたものです。

 

昨日、「森田療法で治る」とは、

と題して、気軽に書き綴りました。

今朝、確認してみましたら、

109回のアクセスがありました。

 

その数の多さに驚嘆しています。

 

森田先生が、『呉教授在職二十五年

記念論文集』に『神経質ノ本態及び療法』

を寄稿したのが、大正十一年一月である。

 

ですので、『森田療法』はこの年月、

を以て誕生したとしてよい。

 

森田先生の『神経質研究』の成果である。

これは、『博士論文』に結実した。

それまでは【神経衰弱】の病名で、

治療困難とされてきたのであった。

 

それが、森田先生の研究で、

【神経質】と名づけて、症名とした。

「症名」であって「病名」とは少し違う。

そこは、「神経症は病気ではない」が大前提です。

 

治療困難であったが、森田先生の研究で、

容易に治療が可能になったのです。

森田先生曰く「コペルニクス的転回」だという。

 

治療困難な「難病」を、「病気ではない」、

と結論付けたのであるから、画期的なことであった。

このおかげで、数えきれない「症者」が救われた。

私も、その一人である。

 

原因論的には、「神経質」という、

ある「性格傾向」を持った人に、

「神経症」が発生して苦悩するものです。

 

どうしてか?

「症者」の原因には、

ある、特有の「意識」「感情」「人生態度」が、

共通性を持ったものとして、見出される。

 

ですので、「生活の発見会」では、

神経症とは何か?、を最初に学びます。

それから、段々と学んでいきます。

それと並行して、【治った人の体験記】を、

学びます。それらを読むと、「自分も治る」!、

と、確信めいた思いが湧きます。

希望が湧いたと云ってよいでしょう。

 

大切なことは、「神経質の性格特徴」、

を学ぶことで、「なるほど」と合点がいきます。

森田先生は『症状』を『とらわれ』と命名した。

『神経質の本態及び療法』で、

最初に診断があって、治療方法が決まると云っている。

 

それは【ある、不快な体験】や【恐怖感動体験】が、

引き金となって、『不安感に悩まされる』ことが常態化する。

その不安感が、心地よくない、不快なものだから、

それを除去しようと願うようになります。

 

ここが【大問題】なのであります。

【根拠のない不安感】に悩まされ、

不安をなくそうと努力します。

根拠のある不安ならば、根拠の問題を、

解決すればよいということになります。

 

ここが分かれ目で、大切なところです。

森田療法(生活の発見会)では、

これを『不安の変身』と名づけます。

 

この変身は、無意識のうちに行われるもので、

本人は、精神的な蟻地獄へ向かっていることが解りません。

ですから、【執拗に】不安を取り除こうとします。

既に変身して「とらわれ」となった不安感情。

それは、いかなる戦法を用いても、

百戦百敗の結果になります。

 

変身した不安は、取り除くことができません。

ですから【症状】(と症者は思い込んでいる)が、

常態化した(変身した)不安となった以上は、

理知では解決できません。

 

森田先生が云うように、

【病気でなく】、むしろ【不安感情のもつれ】です。

病気ではないのだから【放っておけばよい】のです。

ところが、学習していないと、その意味が解りません。

『症状と思っているものを、放っておいて』、

日常生活を充実させる生き方、考え方に方向転換させます。

 

ですから【あるがまま】という言葉は、

森田療法の「きも」になるわけであります。

ではどうするか、

『不安感情にまとわりつかれて』不快だが、

それは、耐えなければなりません。

 

不安感情が強くて、日常生活の維持が困難の時は、

『補助的に』抗不安薬などを服用もあり、となります。

あるいは、『入院療法』という方法もあります。

 

先程、日常生活の充実と云いました。

朝起きると、洗顔、髭剃り、整髪(男性)などの、

ルーチンを行います。

 

朝食をとり、会社員なら出勤準備に入ります。

最寄りの駅から会社までの、電車と徒歩で、

会社に着きます。

昨日の退社時に、

翌日の仕事のメモ(しない人も)を、

確認して、仕事に取り掛かります。

 

テキパキと、手際よくこなします。

相手がある時は、口頭なり電話なりで、

約束事を確認し、行動します。

大事な案件であれば『上司に報告』します。

いわゆる「報告・連絡・相談」をします。

 

この繰り返しで、どしどし仕事をこなしていきます。

退社の時には、反省を兼ねて振り返りつつ、

翌日の仕事の課題を、優先順位をつけて、書き出し。

おおよその翌日の計画を、確認、反芻して一日の仕事を終えます。

 

つまり、症状と格闘するのでなく、

目の前の必要な、やるべきこと、に精力を注げ!

となります。

生活の発見会では、これを『目的本位の行動』といいます。

『あるがままに、なすべきを為す』と学ぶわけです。

症状に向いていた意識は、物事本位に注意が転換します。

 

これを、神経質の「完全欲」や「向上発展欲」に転化させる。

こうしたことから「よりよい人生」を目指すことになります。

つまり「生の欲望」の発揮となります。

こうした中で、他の人から信頼も得られましょう。

「彼に仕事を頼めば安心だ」と云うことになります。

 

これまで書いたのは、森田式生活の一端であります。

人前で語るのが辛い、言葉が震えるからと逃げていたのでは、

解決しません。

だったら「準備」をちゃんとしておくことです。

私も、人前で話すのが辛かった。

だが、森田の勉強をしたら、

「どもっても」「言葉が震えても」、それは二の次です。

自分が伝えたいことが、例え「たどたどしくても」よい。

伝われば、目的達成となります。

 

森田療法は、一面「森田生活道」ともいわれます。

また「自覚療法」ともいわれます。

「神経質性格の良い面」が、発揮できればよいのです。

「行動療法」ともいう。

考えながら行動する。

または、「行動しながら考える」のでよい。

丁寧に、几帳面に、確実に目的が果たせればよい。

このように学びます。

 

また、続きを書きたいと思う。