元群馬県議会議長、中村紀雄先生の本日のブログからです。

 

ここに大切なことが書かれています。

 

日本はロシアと満州・朝鮮を巡って対立し、戦うことになった。

当時の国際情勢は、帝国主義の時代。

ロシアの行動は、世界の支持が得られず。

日露開戦前の世界は、圧倒的に日本を支持しれくれた。

 

その立役者の一つを行った、英国。

仮想敵国【ロシア】を非難するだけでなく、

東洋の小国日本と【日英同盟】を結んだ。

 

この同盟のお蔭で、ロシア艦隊率いるロジェストウェンスキーは、

遠征先途次での寄港(兵士の休息・食料補給・燃料補給)が出来ず、

日本海海戦の頃の兵士は疲れ切っていた。

船中の兵士の士気は下がり、戦うより帰国を願っている始末。

 

日本陸軍は、奉天の大会戦で優勢になりつつあったが、

これに失敗すると致命的な敗北が懸念される状態。

予備役・後備役の兵士投入も検討されていた。

まさに綱渡りの情勢でありました。

 

さらに、日本海海戦では、ほぼ完勝状態の好機をねらって、

米国に終戦のあっせんを依頼した。

セオドア・ローズベルト大統領は、あっせんに乗り出し、

ポーツマスで、停戦交渉が行われた。

 

問題は、ここからである。

勝ち誇って(英米の協力)勘違いした、日本の軍人どもが、

ポーツマス条約を誠実に履行せず、満州から軍隊を引き揚げなかった。

この日本の行動(国際条約違反)に、抗議してきたのは、

何と、英国と米国であった。

 

在米の大学教授「朝河貫一博士」は、日本の行動は、

亡国への道を歩む危険があると【日本の禍機】を著述し、警鐘を鳴らした。

日本(特に軍)はそれを無視した。

 

案の定、その37年後に日本は亡びた。

無条件降伏で、日本対、英米露中(他)に壊滅状態の、焼け野原状態にされる。

 

満州国在住の日本人の引き上げの悲劇、シベリアへの拉致強制労働、

北方四島は奪われた。

今も、隣国(朝鮮半島、中国)から反日感情は強く残り、悩まされる。

国家指導者の責任は重いのです。

 

山県有朋、桂太郎、上原勇作、寺内正毅(子息の寺内寿一も)、田中義一は

位階勲章をすべて返上すべきである。

一人、伊藤博文は満州を日本の傘下に治め、他国の地に官衙設営は猛反対。

 

朝河博士は、最後にF・ローズベルト大統領に『開戦阻止』の電報を、

日本の天皇宛てに打たせようと画策した。それも挫折してしまう。

博士は、無念の内に間もなく米国で死去する。

 

今日は森田療法と無関係ながら、大切なことを書いた。