森田療法の理論学習も最終版となりました。

 

森田療法の神経症理解は、病気ではないということ。

それは、考え方の誤りに起因しているということです。

ですから、病気の治療とニュアンスが異なります。

 

森田先生は「学校教育のやり直し」とも云った。

?????だろうと思います。

神経症の泥沼にはまってしまった人は、このことばに最初は戸惑います。

そうです。病気を治すのとは異なります。

 

云ってみれば、考え方の歪んでいる部分を修正することなのです。

最も分かり易い言葉は【感情の法則】を知ることです。

この法則を見出したのが、森田正馬博士なのであります。

感情を自分の意志で自由にやりくりできません。

 

そこのおおきな間違いがあると説明されます。

 

では、そこのところを、『治るとはどういうことか』の単元を見ていきましょう。

 

 

① 『森田療法で治る』とは?

 

  ・森田療法で「治る」とは、狭い意味と広い意味の両方を持っています。

  ・狭い意味で「治る」とは、「症状からの回復・解放」であり、広い意味で

   「治る」とは、「神経質」(人間)としての成長です。

  ・森田療法は「治る」ことをより広い意味でとらえており、森田療法と比較

   されることの多い「認知行動療法」にはない特長です。

 

 

② 狭義の「治る」=「症状からの回復・解放」とは?

 

  ・症状がなくなるのではなく、症状にたいする「とらわれ」と「はからい」が

   なくなることです。(とらわれからの解放=解放されることが即ち治る)

 

  ・例)「赤面」しなくなるのではなく、「赤面」に対する「とらわれ」と

     「はからい」がなくなること。

 

  ・「人間性に対する誤った認識」が正され、「人間性の事実(人情・平等感)」

    を理解するようになることです。

 

  ・例)「人間性に対する誤った認識」=「人前で緊張するのは自分だけ(差別

      感)」 

     「人間性の事実」=「誰しも死は恐ろしく病気は怖い(平等感)」

  ・症状や自己を受容するようになることです(あるがまま)。

  ・主観(苦悩・苦痛)より客観的事実(目的・行動・事実)を重視するように

   なることです。(目的本位・行動本位)

  ・生活態度が発展的になり、「生の欲望」を発揮できるようになることです。

 

 

③ 広い意味で「治る」=「神経質者(人間)としての成長」とは?

 

  ・「自我」が強化され「我」が広がり(性格の陶冶)、人の為に尽くせるように

   なることです。(犠牲心の発揮)

   森田の言葉:「自分が治るとともに、同病相憐れむところの他の患者たちをも

   治したい心が当然起こるのである」(第五回形外会)

 

 

④ 「治る」プロセス

 

  ・「治る」過程は、通常一直線に治るわけではなく、行きつ戻りつしながら治っ

   ていきます。

  ・つまり「再発」ではなく、症状の「揺り戻し」です。症状の「揺り戻し」が

   起こった時、森田の原則に戻りいかに生活や行動の形を崩さないかが大事です

   す。

  ・「治る」過程は、自分の「症状からの回復・解放」と「神経質者(人間)と 

   しての成長」のプロセスがあります。

  ・「治る」過程とは、「我」が拡大していくプロセスでもある。つまり、自己の

   興味関心やエネルギーが「自分一身」のことから、次第に「自己を含めた他

   者」にかくだいしていくプロセスです。

  ・「治る」過程に、「犠牲心を発揮する(森田)」、他者に「手を差し伸べる」

   行為が大きくかかわっています。

 

 

⑤ 手を差し伸べることの意味

 

  ・「症状からの回復・解放」と「他者に手を差し伸べる」行為は相互促進的です

  ・「症状からの回復・解放」が始まると、自分や自分の症状へのとらわれから

   徐々に脱し、「他者に手を差し伸べられる」ようになり、「他者に手を差し

   伸べる」ことが、ますます「症状からの回復・解放」を促します。

  ・この仕組みを「ヘルパーズ・プリンシプル」(助力者原理)=自助グループ

   では援助する人が最も援助を受けるといい、生活の発見会をはじめ多くの

   自助グルーピは、この仕組みのお蔭で成り立っているともいえます。医療

   機関にはできない自助グループの長所です。

  ・この原理が提唱されるはるか以前の1929年、森田正馬はこの原理を早くから

   見抜き、「形外会」において「もし単に自分が治ったというだけで、犠牲心

   が発動せず、自分の打ち明け話が恥ずかしいとか、人に知られては損害にな

   るとかいう風では、まだその人は小我に偏執し、自己中心的であって、本当 

   に神経質が全治しているのではない」「治った先輩は、まだ治っていない後

   輩を指導・援助するために形外会に出席すること。そうすることで深い洞察

   が得られて大我に目覚める」と述べていました。

  ・世話人活動を続けること、長く会員でいることの背景には、この「ヘルパー

   ズ・プリンシプル」(助力者原理)があります。ただし、援助する人が最も

   援助を受けるのはあくまでも結果としてであり、それを目的として援助をして  

   も効果は出ないと云われています。

 

   ※ A・ガードナー/ F・リースマンにより【セルフヘルプグループの理論

     と実際】で(1977年提唱)

 

 

⑥ 「全治」

 

  ・森田療法で「治る」とは、このように自己一身上の悩みから脱するだけでは

   なく、同じ悩みに悩む人に共感でき、その人たちが悩みから脱するために

   「手を差し伸べられる」ようになることです。

  ・「治る」過程で、「我」は、我が身一身から家族、コミュニティ、自然万物

   と拡大していく。すなわち「全治」であります。

 

 

これを転写していて、私が森田療法の学習で、症状からの回復・解放の喜びを書き綴っていることを自分に再確認しました。

私は森田療法に出会えたことで、人生の再起が出来ました。のみならず、神経症発症まえよりも積極的になって、自分の人生目標に取り組むようになりました。

50歳で慶應大学の通信課程で、近代日本史を学びなおしたこと、卒業した早稲田大学の社会科学部入学を目指す後輩のために、仲間と共に毎年寄付を重ねて奨学金活動を続けています。郷里の母校にも教育講演を依頼されて実行しました。

そうして、60歳の定年退職を前にして、ある大学から教師に招聘されました。

幕末の先覚者・𠮷田松陰を担当することになったのも、こうした「天の配剤」からの加護の様なものがあったのではないかと思い返されます。

人前で語ることを逃げていた私は、森田療法を学んだお蔭で語れるようになりました。60歳から77歳までに250回以上もの講演、講座をこなしました。

奨学金活動の仲間から依頼を受けて、NHKラジオ教養講座の担当機会にも恵まれました。もう10年も前になりますが、この年は講演依頼が殺到して、大忙しになったのでした。人生本当に「人間万事塞翁が馬」を実感しています。