子供が欲しいと思う。
私と夫は出会いが遅かったので、子供を望めるような歳ではないのだけれど。
でも、子供ができたら、きっと今とは全然違った生活なのだろうなと、つい思ってしまう。 現実逃避だということはわかっている。 でも、期待してしまう。 子供ができたら、義母は変わるだろうか? 家を継ぐ後継者を生むことができたら、良い嫁と思ってくれるだろうか? それとも、逆に、私の子など認めないというだろうか?
いずれにしても、子供ができるということは、少なくとも、私がこの世にいる理由にはなるのではないだろうか?
やっぱり、現実逃避。 こんなことで、神様が子供をお授けになるはずがない。
違った環境だったら良かったのにと望んでも、現実は変わらない。 夫が言ったことがある。 もっと早く結婚してれば、おふくろも環境の変化に柔軟に対応できただろうにと。 彼女にとって、2年近くの夫の介護生活の後、夫を亡くし、息子と2人、静かな生活を送ってきた。 そこへ、都会から、お嫁さんがやってきたことは、非常な環境の変化だったのだろう。
義母は舅・姑にずいぶんといじめられたと聞いている。 仕込まれたと誰かが言っていた。 自分でもよく言っていた。 だから、自分のお嫁さんには絶対つらい思いをさせたくないと思っている。 お互い、気楽にやりましょうね。 干渉はしないから。 これは、彼女の理想だった。 でも、現実は違っていた。 彼女も自分の理想と現実との違いに苦しんだのだろうと思う。 都会から来たお嫁さんのすることに不満を持ちながら、でも自分を納得させて、一年間、我慢してきたのだろう。
元来元気者で、負けず嫌い、ちょっと頑固者で、自分の役割をきっちりこなしてきた人。 「面倒見はよいが、面倒みられ下手」。 こんな人に物盗られ妄想はおこるらしい。
早く結婚すればよかったは、なんの意味もないこと。 そうできなかったのだから。 今ある現実は今までの諸々の自分の選択と、大きな人生の流れの中でたどり着いている。 私たちは早くには出会えなかったのだから。
「置かれた場所で咲きなさい」という本を、ある方から頂いた。 読まなくてはと思いつつ、まだ読んでない。
読んでみようか。。。