月9ドラマ「女神の教室」が最終回を迎えた。

 序盤の名台詞

「あなたは、なぜ彼ら(ロー生)がロースクールに来ているか、理解していますか?予備試験を突破できる実力がなかった彼らは、仕方なくローに通い、司法試験の受験資格を得ようとしています。」

のおかげで、ついに法科大学院制度は社会的に不要であることを明確にしてくれるドラマが放送される時代になったのかと注目していました。

 ですが、毎回毎回、中学校の公民レベルの程度の低い議論が展開されます。しかも、それを朗々と語って主導するのが、主人公である出向してきた裁判官出身の教員です。

 

 最終回で印象的だったのが、主人公の法科大学院生時代の個人的体験を踏まえて

・法律家は所謂エリートである必要はない

・法科大学院は人間性を磨くことができる素晴らしい場所である

という主旨の演説を語り、法科大学院等特別委員会の座長らしき人物が、法科大学院制度について様子見にしよう、と絆されてしまった件です。所謂エリートにはどうして駄目なのか、法科大学院での学習が、他の教育・学習の機会に比べて著しく人格の陶冶に資するものなのか、詳しく語って欲しかったです。

 この場面は、「法科大学院制度という、試験の摂理に反した制度を何ら恥じることなく作った文科省はこんなにバカなんですよ~」と世間にアピールしたいがための作劇によるものなのでしょうか。登場人物の知的レベルの低さ、短絡的で感情的な思考パターン、そして何よりそんな法科大学院を巣立った主人公が毎回見せてくれる浅い人間観に基づいた言動を見ていると、「こういう低レベルな法科大学院を出た人間が裁判官になってしまう酷いシステムなんですよ~」というのがメッセージなんだろうかとすら思えてきます。

 

また、舞台となった法科大学院の実績は、累計卒業者数1,000人以上、そのうち司法試験合格者は50人弱という惨状です。主人公は第1話で着任してから最終回までそのことをずっと知らず、「そんなに…(少ないんですか)?」と心底驚いたかと思えば、ロースクールでの3年間を実りあるものであったと思うと言い、「ここで身に着けた法律の知識は、たとえ法曹界に入れずとも、必ず、日々の生活の中で役に立ちます」と疑うことなく笑顔で言い切るのです。これは北川景子が毎回見せてくれるウソっぽくて薄っぺらな演技を前提として敢えて変なことを言わせることで、視聴者には「現実には金と時間をかけて日常生活のために役立つかもしれない法律知識を学ぶために司法試験制度を破壊して弁護士の職業的魅力を著しく低下させた法科大学院制度って、人間や社会を理解していないこんな人を裁判官にしてしまうものだったのか」と気付かせるためなのでしょうか。

 

 そんな風に解釈でもしないと、このドラマの感想が単に「糞ドラマだったわ~」で終わってしまいます。