
なんか切ないというか
やるせないというか
そういう話なんだけども
出会う人があまりにも良い人達で
物語としてはこじんまりしていたので
すごく号泣とまではいかなかった😅
これはドラマにした方が良いかもしれない
なんてすごく偉そうに言ってるけど(笑)
ここ最近の小説は
映像になることを前提に作られてるのかと
読んでて思ってしまう
本か映像か
どちらもヒットした場合はどちら??
と、なると
私は絶対に本を読む派で
だけど、お正月に見た教場のように
あえて本じゃなくて映像で見るを
選ぶ時もある
なんか読もうと言う気が最初に起こらなかった
本が面白くて映像化される場合は
やっぱり物足りなく感じる事が多い
それを表現しきるには
時間も迫力も足りないから
けど、映像になることの醍醐味は
音楽が加わるということではないかな
小説の世界は無音だし
音楽の効果というものはすごく大きい
まぁ、それだけではなく
他にも映像の利点はあると思うけど
52ヘルツのクジラたちは
読みながらも情景が想像しやすかった
52ヘルツのクジラの事を初めて知った
世界でもっとも孤独な鯨かぁ
誰にも届かない声
鯨はどうしてだろう?淋しいよと
感じているのかなぁ
そんな風に今日も大きな海のどこかで
泣いているのだろうか
誰の心の中にも
52ヘルツの鯨はいたりして
本当の心の叫びを
自分が一番拾えてなかったりするし
誰かとすれ違うより
自分とすれ違う方が寂しい
たくさんの人といても
たくさん楽しく過ごしても
どこかで「寂しい」を人は
抱えているのかもしれない
一人で生まれて一人で死ぬ
人間ってそういうものかもしれないな
幸せになる勇気に戻るけど
だから人は生まれてから死ぬまでの間で
愛を知るタスクを学ぶのかな
一人で生まれてくるけど
一人では生きていけないから
ピンときた三冊
どれもそれぞれに面白かった
絶賛孤独にどっぷり浸っている
うちの息子クジラは
昨夜凍結で夜中の12時に
役所の人に呼び出されて
現場に向かった父によると
仕事を終えて帰っていた3時に
外を走っていたらしい
夜の中でも一番寒い時間じゃないか
そういえば以前私が買った
繊細も繊細な孤独なハリネズミの本を
ボロボロになるまで読んでいた息子
ボロボロになったのは
参考書じゃなくてハリネズミの本だった(笑)
前にブログに書いてたので探した
まだChikaで書いていた頃だ!
読んでみると懐かしい
寂しい気持ちになりたいから読むと
言っていた息子
今はあの時よりもっと
寂しいを感じたいのか
それとも寂しいから逃げたいのかな
ハリネズミの本を今は持ち歩いてない
今は豆乳を持ち歩いている(笑)
52ヘルツのクジラは
孤独だから泣いているのか
孤独を感じたくて泣いてるのか
人間が生まれてくる時の
標準装備が孤独かもしれない
孤独という感情を知っているから
人は優しくなれるし
強くなれるし
愛を知って喜びを知るのかも
孤独は最も崇高な芸術だよなぁと
私は思います
今日という日を味わいましょう
ちなつ