これは最初は本当に呪文でした
娘の具合が良くなるようにと
一心に感謝の言葉をつぶやきながら
掃除してました
だけど、今では呪文ではなく
本当にそう思えるようになりました
娘は気付けばすっかり元気に
4月からは大学生です
私は2年前教会の先生の口を通して
水回りの掃除を日課にしてみてはどうか
と言われ
そして、数ある水回りから手始めに
お風呂を選んだ
今は風呂→洗面台→トイレと日課にしてます
風呂掃除を自分がやると決めた!
↑ここかなと思いました
自分でやると選択したから
今まで家事をしてきたけど
それは主婦だから、お母さんだから
それは選択したというよりも
それは基本私がしなくちゃいけないことだと
思っていたからです
身体の具合でも悪くならないかなぁ~
2、3日ぐらいの入院とかないかなぁ~
なんて思ったり
疲れが溜まると
もっと手伝ってほしいわ!
○○さんの旦那さんはごはん作れるらしいよ!
なんて言っては喧嘩になってました
別にしなくちゃいけない事は何もなかったのに
そんな気持ちでやってたら周りにも迷惑だし
自分も気持ちよくないですよね
基本風呂、洗面台、トイレは私がやると決めたから
自分が出かけていてできない時や
休みで子供がしてくれた時には
本当にありがとう!という気持ちがこみ上げてきます
行動は同じでも気持ち一つで
こんなに違ってくるんですねぇ~
そして今朝もう一つ気付いたことがありました
この風呂掃除はまさしく昨日まで気になっていたメッセージ
目の前の事に一生懸命取り組む
自分と縁ある人、近い人のお役に立つ
事であることに!!
自分がつい「ない」の方に目線が行っていると
「ある」の方に気が付けない
普段気を付けていたのに
私このメッセージできてないと思って
もっと頑張らないと、自分にとって何がそれにあたるんだろう
って思ってました
これも十分目の前の事に一生懸命取り組むことだし
一番大切な身近な家族が喜んでお風呂に
入ってくれる、そんな大切なお役目でした
これはもったいない!
これを自分の中で出来てるカウント
してなかったなんて!
もっと感じよう!
凡人である私がまず出来る事を
精一杯しているという事
行動しているという事
お役に立てている事
今日一日それができた事
命があるからお掃除できる(お役に立てる)
健康だからお掃除できる(お役に立てる)
神様にお役目をくださいとお願いしておきながら何がそれに当たるんだろうなんて
とても失礼でした
もちろん、仕事もやりたい事も大事だけど
この日常の一番近くにある事を
もっと大切に
自分は足りている(ないではなくある)
という意識を持つ事って
大事だと思いました
リュウ博士がおっしゃってる
一つでもやりきったら
いっぱしになれる
このままその意識で日々の清掃に取り組んでいこうと思います