村上龍さんが亡くなった。
『限りなく透明に近いブルー』『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』「イビサ」「ラッフルズホテル」「KYOKO」…
村上龍さんの小説には、残酷で、退廃的で、でもどうしようもなく美しい世界があります。
そして、今の私の美容観にも、少なからず影響を与えています。
一生の目標は、アネモネの肌
『コインロッカー・ベイビーズ』に登場するアネモネ。
巨大なワニのガリバーと暮らす、美しくて風変わりな少女です。
このアネモネの肌が、私の憧れでした。
透き通るように青白く、薄く、柔らかい皮膚。
透ける血管の上を伝う透明な汗。
現実に存在したら、さぞかし美しいことだろう。
一方で私は9歳からひどいニキビに悩まされ、ゴワつく肌には赤みがあり、かさぶただらけ。
美しい肌への執着は、私の場合かなり年季が入っています。
村上龍の小説は、美しさに容赦がない
もうひとつ、忘れられない作品があります。
『蝶乱舞的夜総会(クレイジー・バタフライ・ダンシング・ナイトクラブ)』。
短編集『ニューヨーク・シティ・マラソン』に収録された、奇妙で恐ろしく、そして美しい物語です。
舞台は香港。
主人公はクラブでピアノを弾く男。恋人のマーヌは踊り子ですが、いくら練習しても踊りが下手。
そんなある夜、街に大量の羽虫が発生します。
その発生源を探していくと、そこには人間の死体とも巨大な軟体動物ともつかない、異様な産卵体が。
その生き物から採取した液体を脳に注入すると、能力が高まるかもしれないという。
マーヌは、その怪しげな液体を入れます。
すると、踊りの才能が開花。
まるで人が変わったように。
妖艶さを増し、踊り子として成功していきます。
上手に踊りたい、その想いでからだじゅうを膨らませて、マーヌは空を跳びます。
美しくなる。
才能を手に入れる。
人を魅了する。
その想いを、どこまで貫けるのか。
あれから、マーヌとともにわたしはずっと羽虫を探してる。
美しくなりたいという欲望は、本当はすさまじい
今は美容家として仕事をしていますが、美容に携わっていると、人が美しさを求める気持ちの強さを日々感じます。
肌をきれいにしたい。
痩せたい。
バストアップしたい。
若々しく見られたい。
誰かに褒められたい。
自分自身が納得できる姿でいたい。
美容には、理屈だけでは説明できない感情があります。
私自身、9歳から肌に悩んできたので、その気持ちはよくわかります。
アネモネのような肌に生まれたかった。
それは、単にニキビをなくしたいという話ではありませんでした。
鏡を見るたびに感じる絶望から解放されたい。
好きな自分になりたい。
そういう願いだったのだと思います。
だからこそ、美容には知性も必要。
『蝶乱舞的夜総会』のマーヌは、才能と魅力を手に入れるために、過去を捨てた。
美容にも少し似たところがあります。
早く結果を出したい。
もっと変わりたい。
もっときれいになりたい。
その気持ちが強くなるほど、選択が必要なときがある。
だから、美容の仕事をする側には、情熱だけでなく客観視も必要なのだと思います。
26年間、美容の仕事を続けてきた今は、そう考えています。
村上龍さんの描く女性たちは、一般的には幸福ではないのかもしれません。
むしろ、傷ついていたり、何かに取り憑かれているようだったり、社会の常識から外れていたり。
それでも、自分の欲望に対してひたむきな姿は、鮮やかです。
私はそんな女性たちが好きでした。
アネモネの肌に憧れ、マーヌの人生に震えた少女はガリ勉の理系の人生を捨て、今は銀座でエステサロンを営み化粧品を作っています。
現実の世界で凛々しく生きる女性たちの美しさを咲かせる仕事。
遠回りをしましたが、あの頃から始まっていたのかもしれません。
マーヌのように命がけで生きる姿は美しい。
長い間川底をさらい続ける努力より、手にした一握りの砂金に心奪われる。
村上龍さん、ありがとうございました。
もう新しい物語を読めない。
そのことが、まだ信じられません。
美しく、リアルで、現実に満ちた世界。
そこに生きる女性たちの肌や体の描写は、私にとって忘れられないものです。
アネモネの肌は、今も私の憧れ。
一生手に入らないかもしれませんが、一生の目標です。
そして、村上龍さんの小説を読んで育った私は、今日も銀座で女性たちの肌と体に向き合っています。
村上龍さん、心よりご冥福をお祈りいたします。