歴史的な大転換期と科学 | Yacco Cafe(やっこカフェ)~光と陰がくつろぐ空間~

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2/19はコペルニクスの生誕540年だったそうです。

コペルニクスとはポーランド出身の天文学者、カトリック司祭で当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説=地球が動いている)を唱えた人です。

彼が唱えた地動説は天文学史上最も重要な再発見とされてます。

彼は牧会のかたわら、天文学の研究をなし、地球が太陽のまわりをまわっているという考えに立って、惑星の運行を説明しました。

コペルニクスは、それまでの天動説が非常に込み入った複雑な理論であり天体の動きを完全に説明できるものではないことに着目。

コペルニクスにとっては、

「すべてを完全になしうる神が、そんな不細工な宇宙をつくるなどとは考えられなかった」
(バターフィールド、ブラッグ他著『近代科学の歩み』二九頁)のです。

うん、納得ですね。

では、それ以前の天動説から地動説発見まで改めて調べてみると・・・

天動説とは、宇宙の中心には地球があり、太陽を含め全ての天体は約1日かけて地球の周りを公転する。
しかし、太陽や惑星の速さは異なっており、これによって時期により見える惑星が異なると考えた。

天球という硬い球があり、これが地球や太陽、惑星を含む全ての天体を包み込んでいる。

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恒星は天球に張り付いているか、天球にあいた細かい穴であり、天球の外の明かりが漏れて見えるものと考えた。

惑星や恒星は、神が見えない力で押して動いている。

あらゆる変化は地球と月の間だけで起き、これより遠方の天体は、定期的な運動を繰り返すだけで、永遠に変化は訪れないとした。

天動説は単なる天文学上の計算方法ではなく、当時の哲学や思想が盛り込まれている。

神が地球を宇宙の中心に据えたのは、それが人間の住む特別の天体だからである。

地球は宇宙の中心であると共に、全ての天体の主人でもある。

全ての天体は地球のしもべであり、主人に従う形で運動する。

中世ヨーロッパにおいては天動説が公式な宇宙観と見なされ、古くは紀元前384年アリストテレスの時代からコペルニクスの登場する16世紀まで長く信じられてきた。

当時は望遠鏡を錬金術師が使う非科学的な呪具であると考える者が多く、また依然として残る宗教的圧力によって天動説を捨てる学者はなかなか現れなかった。

17世紀になって望遠鏡が発明され、天動説に不利な観測結果が次々ともたらされ、1610年にガリレオ・ガリレイが望遠鏡を用いて木星に衛星があることを発見した。

ガリレオ・ガリレイも「私に顕微鏡を与えよ。そうすれば無神論を破ってみせよう」といった有神論者だった。

彼のこの発見により、天動説は木星の月が飛んでいってしまわない理由の説明に困窮した。

さらに、ヨハネス・ケプラーが惑星の運動は楕円運動であることを発見する。

このケプラーも
「自然は神が創造し、動かしている。自然は神が書いた本のようなもので、そこに神の言葉や意志が隠されている。科学の役目は宇宙という神の作品の美しさを解き明かすことであり、そのためには数学が仲介として最適なものである」
と語った。

創造された完璧な世界について瞑想を深め、自らの精神を高める手段として彼は科学を捉えていた。

科学を神に仕え、神を祝福するものであるとし、物を中心に置く考えから離れ、本質的な問について考えるための道であると考えていた。この仕事に呼び寄せられたと感じていた彼は、そこに経済的な価値ではなく、音楽や絵画と同様に美的な価値を見ていた。

ケプラーの説は天動説やそれ以前の地動説モデルよりも遥かにシンプルに天体運行を説明でき、しかもケプラーの法則に基づくルドルフ星表の正確さが誰の目にも明らかになり議論は収束に向かった。

恒星の年周視差が未だ観測できないという地動説モデルの弱点は、この大発見の前には些細なことでしかなかった。

ニュートンは、ケプラーの法則を支持する慣性の概念を始めとした運動の法則、および万有引力の法則という普遍的な法則を導きだしこれらの法則は天動説をとるにせよ地動説をとるにせよ、大きな謎であった天体運動の原動力及び月が飛ばされない理由に回答を与えた。

さらに、惑星に限らず、石ころから恒星まで、宇宙のあらゆる物体の運動をほぼ完全に予測・説明できる手段となった。

これらの圧倒的な功績によって、地球中心説としての天動説は完全に過去のものとなった。

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そして、ニュートンも、その著書『プリンキピア』の中で
「太陽、惑星、彗星から成る極めて美しい天体系は、知性を有する強力な実在者の意図と統御があって、初めて存在するようになったとしか言いようがない。・・・・至上の神は、永遠、無窮、全く完全なかたであられる」
と語った。

彼は、宇宙は目に見えない偉大な神によって創造されたのであり、その統御によって存在しているのだと信じていた。

彼は自分の科学研究について、
「自分は、真理の大海の浜辺で戯れているのだ」
と語りましたが、彼にとって科学研究とは、"神の真理"を追究することだったのです。



相対性理論を生み出し、二〇世紀最大の科学者と言われたアルバート・アインシュタイン博士も、

「私は、神の天地創造の"足跡"を探していく人間である」

と語ったと伝えられます。

彼にとっても、宇宙について、また自然界について研究することは、「神」をより深く知ろうとする心の現われでした。

その他、偉大な科学者のなかには、創造者なる神を信じていた人々がたくさんいます。

彼らはみな、熱心な創造論者であり、創造者なる神の存在を信じていたのです。

科学史上に残された彼らの偉大な業績は、「神が創造された世界について、もっとよく知りたい」という探究心から生まれ出たものだと、科学史家は述べています。

そして今日でも一流の科学者の中には、神を信じる人々が少なくありません。

科学者のなかで神を信じる人々の割合は、減少傾向ではなく、むしろ増加傾向にあるようです。

アメリカでなされたあるアンケート結果によると、第二次大戦以前、創造者としての神の存在を信じる科学者の割合は、35%だったのに対し、最近では60%に達しているとのことです。



科学的知識の豊かな者は唯物論者が多いという考えは、もう一昔前の人間であって、むしろ、科学的知識が豊富になることがかえって大いなる存在、創造主を信じることになるというのはうなずけますよね。

アンケート結果からしても人間の意識が変容する時代に立っていて、予想以上に私たちの未来は快適で笑顔に満ちているんだろなって感じた嬉しい検索結果でした。

それではまたね。



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