今から10年以上前、娘がまだ2歳の頃、沖縄を旅した時に、米軍による高江のヘリパッド問題で土地の人たちによる反対運動の現場に行ったことがある。
機動隊は本州から来ており、反対運動をする現地の人の行動を鎮圧していた。その時に、スラップ裁判により国から訴えられてしまった方と話す機会があり意見を求められた。
「日本という国で同じ日本人なのに、起きている現実にとても悲しくなった。大切なことは教育だと思うし、こんな事が二度と起こらないような未来を作りたいと思う。」と伝えた。
それから、娘が小学校に入ってから、支援員として学校に勤めながら、通信の大学で小学校教諭の免許を取得した。
その時から、沢山の先生たちに、高江の問題を話したが、みんなどこか他人事で、日本の問題が教育の現場で起きていることに関連づけることはなかったように思う。
それから、講師となり学校勤務をする度に、学校が行う管理教育に疑問を感じながらも、知らない間に小さな痛みに向き合う余裕のない自分になり心も麻痺していった。
発達障がいという子に対して、医者が簡単に薬を処方して飲ませるような学校社会の感覚にも強過ぎてついていけなかった。
いつの間にか、心に限界が来て、適応障害になり学校を辞めた。
それから、自分がどう生きたら良いのかわからず、庭や畑の手入れをする度に植物たちや生き物、自然の声に耳を傾けるようになった。
途切れていた繋がりに気づくようになって、段々と回復していった。
そして、今同じように 私の生まれ育った町でも、リニアの残土問題があり、無くなってしまう自然がある。
人類の技術の発展は、環境に大きく負荷をかけてしまう。
戦争も同じように、行き過ぎた世界は、犠牲者を生み出してしまう。
自分の中で平和と環境問題はいつも繋がっていて、
戦争のない社会はどうやって作ることができるのかずっと考えていた。
玄関に植えてあるローズマリーの上にいたカマキリと何気なく葉っぱを使って遊んでみたら、次の日は玄関の前にいたので、踏みそうになるから危ないと思い、ツツジの上に移動させると、今度は西の犬走りのところにいて待ち構えていた。
その時に、私がやりたかった教育は、自然の声、声なきものに意識を向ける姿勢を育てることだったんだと感じた。
沖縄の問題で感じたことの答えがやっと見つかった気がする。
人間も自然も生き物も全て繋がっている意識を育てていくことが平和という心を育んでいくことだと感じている。
子どもは、みんなわかってる
子育ても、じっくり、ゆっくり、観察すること。
そんな風にもう流されないで自分のリズムで生きていくことにしよう。
写真は、可児川の上流の水源地。気持ちの良い場所だけれど、御嵩のリニア残土で埋め立てられてなくなってしまう場所。もっと上流にいくと結局ゴルフ場があって、かなり凹んだ。ゴルフ好きの皆さん、環境問題にも目を向けれる紳士淑女になりましょう。
2枚目一枚だけ紅葉している木が貴重なハナノキ。
今考えている事が、絶滅危惧種の保護活動と切られてしまうハナノキの家具や木工作品にして命を生かす取り組み
これから町に伝えて何らかの取り組みができるようになればと思っています。賛同いただけると心強いです。

