今日は、母と父の入院している病院に行ってきた。
父は、ステージ4の闘病生活中である。
病気、がん、っていったいどうしてなるのだろう。
ガン検査をして、何か腫瘍があると、カットしたり治療したりというのが今の西洋医学での対処の仕方かな。
私はと言えば、ガン検査をしない。
保険に入らない。
究極、いつ死んでも悔いのないように生きる。
というように、ガンという病気とは無縁の域で生きている。
ここから先は、それぞれの見解があるからなんとも言えないけど、
私が自分らしく生きる方法として、上記の選択をしているだけのこと。
自分の心の声を大切にする。すると無理はしなくなる。
それ以上、無理のない行動へと変えていく。
だって、がんって治るものだから、自分らしく生きるようになったら、いつの間にかがんが消えていたっていう話はサバイバーの人たちが皆言っていること。
病気は本来の自分を思い出すための、体からのアクションなのである。
自分を麻痺させていると、いつの間にか、そんな本来の声すらもわからなくなってくる。
それが、数年前の、私だった。
周りに合わせた生き方は、違和感の正体もわからず、漠然と自分自身を見失っているばかりだった。
そんな中、父と面会が終わった後、母と話をしていて気がついた。
母の話の中に出てくる、自分が理解できない人間をいつの間にか悪者にしてしまう癖。
「なんで、あの人はそう思うのだろう。」
この感覚こそがエゴなのかもしれない。
自分のしたことを責める必要もないし、自分の行った判断にジャッジをつける必要もない。
自分の心の声に従って、声を上げた行動だし、相手に理解してもらえなくとも、それは、自分の心を大切にしている証拠だ。
でも、相手も同じように思いはあるから、理解し合えないこともある。
そこに、「なんで、理解してくれないのだろう。」という気持ちを持つことはエゴだと思う。という話をした。
相手に何かを求めている時点で、それは、相手の判断を尊重していないからだ。
お互いに、尊重し合えば、同じ結果というゴールには辿り着けないけれど、分かり合える。
そんなことを思った日だった。