おはようございまーす!

さこぴですニコニコ飛び出すハートやっほー

 

 

 

 

 

 

 

時々、スレッズにも思ったことを投稿してます

 

 

スレッズは文字数制限があったり

どんどん流れていったり

どこかから流れてくる人がいたりと

 

ブログとはまた違った感覚で

手軽さがあっていいよねニコニコ

 

 

 

昨日の私の投稿↓

 

 

ミルクポンとは、

哺乳瓶を消毒するための消毒剤

 

消毒した後に、水ですすがなくても使えるのが楽チンなのだよだれ

 

 

 

 

で、

この投稿の後に

 

 

私はなぜこの人と仲良くなりたかったんだろう?

 

 

 

と思ってノートしてみた鉛筆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このママ友さんは、

結構わかりやすく

 

おしゃれな人、いい家の人、大きな車を持ってる人

役員などで有名な人、若い人、旦那さんがイケメンな人

などが好きだった

 

 

私はほぼ引っかかっていないので

このママ友さんに「すごーい」と言われる要素はない

 

 

 

でも、

ママ友さんが「よし」としているものを持っている人にことは

とにかく持ち上げて、媚びを売ってるようにも見えて

すごく特別視しているのがわかって

 

 

正直あからさま過ぎて「え・・・」と思うこともあったけれど

私は内心羨ましかった

 

 

 

 

 

自分の承認欲求をバンバンに出していることの方ではなく

 

 

 

 

特別視されていることの方に

 

 

 

 

 

 

私も「この人に」特別視されたい

好きでもなんでもないし、ムカつくやつだけど

 

 

 

誰かを特別視する「この人に

私も特別視をされたい

 

 

 

これが私がママ友さんから離れられない理由だったのでした

 

 

 

 

 

 

そうね、そうそう

 

 

母親ね

 

 

 

 

 

これって結局

 

 

 

 

 

私もお母さんの特別になりたかった

私もお母さんの1番になりたかった

 

 

お母さんに特別扱いされたかった

 

 

 

なのよね。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でさ、

 

大人になって仕事したりして社会に出ると

人ってそんなに誰かを特別扱いしないんだよなあ

ってことにも薄々気付く

 

 

気が合って、趣味があって仲が良くて話が合う

とか

同じ職場の先輩後輩、指導者と新人さんの関係とか

 

 

そういう個人間で

結びつきが強くなるようなことはあっても

 

 

なんというか盲目的に

「すごい!」

って持ち上げられているような人っていなくて

 

 

いたとしても本当にすごかったりして

(仕事だと勉強してるのも努力してるのもわかるから当然の結果)

 

 

 

 

 

 

このママ友さんみたいに

 

え?こんなことで?

 

ってことで持ち上げてくれる人って周りにいなくて

 

 

 

 

欠乏感MAX

劣等感MAX

育児全然うまくいってない

人間関係築くの下手すぎる

コミュ障

なんなら人怖い

 

「自分は存在していい」なんて思えない

(自分はこのままで存在していい、というより、存在してはダメくらいに思ってた)

 

 

 

だから私は、そのママ友さんを利用して

自分の存在を満たしたり、

認めてもらうことで存在の許可にしようとしたり

 

私も特別視してもらいたい

 

 

 

そんな風に思ってたんだ

 

 

というのがノートに出てきて、

衝撃を受けた

 

 

 

 

そのために、

ママ友さんに嫌なことを言われても

(その前にも大分色々あった)

 

そのママ友さんが私に求める存在確認も

(とにかく毎日メールが来る。でも会うと嫌そうにされるっていうね)

 

 

 

全然乗り気じゃないのに、付き合ってた

 

 

 

それは

我慢して相手の欠乏感を満たして

 

その見返りに自分の欠乏感を満たそうとしていたから

 

 

 

 

全部、

自分の母親に満たしてもらえなかったもの

 

 

 

それを

ママ友さんを利用することで

満たして取り返そうとしてただけだった

 

 

 

共依存ってやつだ

 

 

 

 

だから離れられないし、やり返すことなんてできない

 

 

 

 

 

そして、私がこのママ友さんがウザいと内心思ってるのと同じで

認めてほしい!必要とされたい!

と思う私は

 

さぞウザかっただろうとも思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はこの時は

ナリ心理学のブログを読み始めた頃で

ダイヤ値も-60〜-70くらいだったと思う

 

 

とにかく「私は存在してはいけない」と思い込んでしまっていて

 

 

 

でも、存在してしまってるから

なんとか存在を消したり隠したりしなきゃいけない

 

 

それか、

外に出るならば、人と会うならば、母親ならば

なんとかして人に存在していいと認めてもらわないといけない

 

 

 

それ以外に考えられなかった

 

 

 

 

 

存在を証明するか、存在を消すか

 

 

その2択しか考えられなかった

 

 

 

 

 

 

ナリ心理学のブログを読んで、講座を受講して

母親と向き合いを続けていく中で

 

 

 

やっと

 

 

存在を証明しようとしなくても

存在を消そう(隠そう)としなくてもいい

 

 

それがわかってきた

 

 

 

 

過去の名残で

今でもついついどちらかを選んでしまったり

選んだ過去で絡まってることもあって

まだまだではあるんだけど

 

 

 

 

どっちもやめていいし

証明のために自分の人生を賭けようとしなくていい

 

 

そういう考え方を取りいれても良くて

 

 

 

もう存在しているんだから

そもそも必要なかったんだよなっていう大損も感じてる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回思い出したママ友さんとのことは

 

私の根っこに関する大事なことだった

 

 

 

私にとっての「特別性

どうして求めてしまうのか

何が欲しかったのかという根っこ

 

「やっぱりね」って感じしかない

 

 

 

 

そして私は、これほどまでに

幼少期に母親から「あなたは特別な子だよ」を

感じられなかったんだってこと

 

だから取り返したかった

それほどまでに渇望してたんだなってこと

 

 

そのために今までの私は自分の人生を賭けてきたんだ

そんな自分を受け入れて、忘れずにいたい