おはようございまーす!
さこぴです
現在、毎日の中であったことをノートに記録してます
ノートに書こう!
と思ってからというもの
普通に生活している中で
「あ、これノートに書こう〜」
と自然にネタ集めをするようになりました
全部が全部じゃないけど
ちょっとした何かがあった時に
これ、ノートに書いておきたいやつ!
って
思う時がちょこちょこあります
そんな風にしているうちに
「あ、これ、ログにしたくないやつだな」
というのも気づくようになりました
こりゃ、家に帰っても書きたくないやつだな。と
それは、
長男を学校に車で送って行った時で
学校に着いたときに
長男「あ、前の靴履いてきちゃった」
なぜか、サイズアウトした靴を履いてる
前の習慣が残っていたのか?
(新しい靴買ったの5月!)
しかし長男は気付いてしまって
「靴交換したい。帰る」
と言い出した
でも、絶対やだ!もう帰りたい!
という感じでもなく
私としても
「えー?ここまで来たのに?」
「めんどくさいよー」
「(長男が)時間に間に合いそうなのにー?」
と、色々不満もあり
まあまあ、となだめ
一度家に取りに戻ろうか
という方向でやることにした
で、結局
長男はそのまま登校して
私が靴を取りに帰って、交換する
ということになったのだけど
靴を取りに帰る車を運転する中で
うわ、絶対これログに書きたくないやつ!!!!
と思う私がいたのだった
というのも、
長男のやり取りをした後
これでよかったのだろうか?
長男のミスだから、ミスを受け入れるために
そのまま登校してもらった方がよかったかな?
こうやってすぐに取りに帰るのって
どうなんだろう?
長男も一緒に戻った方がよかったのだろうか?
とぐるぐるしている私がいたからだった
この時の正解を探している自分と
自分のやったことは正解ではないと厳しい目で見ている自分がいて
「これは正解じゃないから、ログに書きたくない」
になっていたのだ
間違いたくない
失敗したくない
できれば正解の道を選びたい
そんな風に考えている自分を目の当たりしたのだった
でも、
書きたくない自分に気づけたこと
正解探しでぐるぐるする自分に気づけたことで
これは、眠くなってもノートに書こう
と私の中では印象の強い出来事にもなっていった
で、結局この時の私は
何を基準にして、正解/不正解を決めようとしてたんだろう?
母?
私の母は、忘れ物はなんとしても届ける派で
忘れ物女王だった私は
母が届けてくれたことで、かなり忘れ物の実績は減った
そのせいもあるし、
私自身の不注意のせいもあるけど、
忘れ物癖は全く治ってないし
自分でどうすればいいか?という工夫も育たず
ただただ母に怒られただけだった
(母は全届するけど、怒るし文句をネチネチ言う)
母基準だとすると、
まさかの◎になる
じゃあ、私は?
なぜ靴を取りに戻ることにしたんだろう?
せっかくここまで来たから学校に行ってほしい
って気持ちはあった
他には
靴を持ってきてもらえるとわかることで
長男が安心して学校で過ごしてほしい
って気持ちがあった
夏休み前までほぼ学校を休んでいて
今、長男もヨイショ!と頑張ってる時
でも、その靴を間違えたことを知って
「あー、もうやだー」
って長男がなりやすいのを私は知ってるし
ママがいつもの靴を持ってくるから大丈夫だよ
と言うことでが、
長男がその時の気持ちを切り替える材料になるなら
めんどくさいけど取りに戻ってもいいかな
と言う気持ちもあったのだ
この時、
◎になっているはずの母を否定する私も存在していて
子供が自分で準備する力を育ててない
自分で責任を取る機会を与えてない
だから
・自分でやる力をつけさせないとー
・責任取る練習させないとー
・そんな小さなことで、私が甘やかしすぎるんだー
っていろんなことを間違い!間違い!と言ってくる
これは、誰?????
多分だけど、
私のことをちゃんと育ててくれなかった!
こんな母親になりたくない!
と母を否定するための武器で
私自身が母とは違ったちゃんとした母であるために
いろんなところから身につけた知識たち
なのではないか?と思った
それが私の正しさの基準で
正解/不正解を判断するものになっていて
同時にそれに沿わない自分を批判するネタになっていたのかもしれない
これぞ、世間体
ほんと私は、
母みたいになんてなりたくない!!!
って
物凄い反発してたから
母と同じようなことをしてると
嫌になってしまうんだよね
母と違うことが正解でもあるので
そんな正解から外れた自分は
なかったことにしたい
が、私のログに残したくない
だったんじゃないかな
そんな風に残したくない自分がいることもわかると
「これ、残したくないやつだな」
って気づくこともちらほら出てきて
そんなのが2回くらい続くと、
逆に面白くなったりしてしまうのが私だ
それに
どんなことも残していいとなると、
かなり気持ちは楽チンです
本当はどんなことも残していいし
どんなことがあっても私は私だし
全部私として存在した記録なのに
なぜ、それを残したくないと思うのか???
がキモのようです