おはようございまーす!

さこぴですニコニコ飛び出すハート

 

 

 

今日は、ダイヤグラフを書くときに

改めて自分の過去を振り返って気づいたこと

パート②

 

札幌に行った話の続きは・・・そのうちやる!

 

 

ダイヤグラフとは?

→今までの自分の人生のダイヤ値をグラフにしたもの

詳しくはナリ心理学のブログを参照してください

 

 

また、私はナリ心理学について勉強中の身ではありますが

アドバイザーさんのような質問や相談に乗れる立場にはありません

ナリ心理学の人ではないのでご了承ください

あくまで、勉強中のナリ心理学大好きさんの1人です

 

 

 

 

 

前回は、私がなぜ私はボロボロなのに結婚したんだ?

というところにフォーカスをして見えてきたことについて

考えてみました

 

今回は、

なぜ私はうつになって休職するようなことになったのだろう?

について深掘ってみます

 

 

 

ちょっと長くなっちゃいましたタラー

 

 

 

その前に去年の9月に私がダイヤグラフについて書いたときの記事より

私の時系列について

 

私は今まで、この時系列の中の

「指導者さんがヤバい人でいじめられながら生きる」

という部分を直視することができませんでした

ちなみに、当時の私の職業は総合病院の病棟看護師です

 

この記事を書いた去年の9月にこの表現を使ったのも

私にとってはものすごい勇気がいることで、

私はヤバい人にいじめられていたようなものだったよな

と思うまでにかなりの年月が経っています

 

私の主観なのでまあアレですが、

その指導者さんというのは

サイコパス寄りな冷徹さ、完璧さ、共感性のなさを感じる人でした

頭も良くて、仕事には隙が無く、指導者という立場が大好き

 

とにかく怖い。怖かった。

 

 

当時の私は常にビクビクオドオドしていた訳ですが、

「間違っちゃいけない」「失敗しちゃいけない」

という気持ちが強くて

職場では常に気張り詰めて仕事をしていました

 

介助に入るのも、間違えちゃダメだと思うからガッチガチで

頭の中が真っ白で全然できずのポンコツでした

 

看護師という仕事のプレッシャーもそうだけど、

間違ったり失敗したら、ダメな人間だと思われるのが怖くて

気を張ることでちゃんとしてる人間を演じようとしているという

なんというか、ツッコミどころしかなさそうなやり方なのですが

 

そんな感じで仕事をしていたので、すごく疲れました、、、

しかも仕事柄、患者さんの命や安全を守る必要もあって

色々怖くて怖くて仕方がなかったから、本当に疲れました

3交替というシフトも気合いで乗り切っていた状態です

20代の若さだからできたことでした

 

 

2年目の指導者さんが、その怖くて厳しい人になったのですが

私もガッツリとした非ダイヤで、非ダイヤ性を遺憾無く発揮していたし

そもそも仕事ができるタイプでも

考えられるタイプでもないので

日々隅から隅まであらゆる注意と指導を受けまくりました

1年目の指導者さんにも「根拠は?」「根拠は?」「これの根拠は?」

ってめちゃめちゃ聞かれて大変だったけれど

それともまた違った感じでした

 

その指導者さんの目がすんごい怖くて

背が高いからその目で見下ろすような形で、さらに恐怖倍増

「さこぴさん・・・これは一体どういうこと?」

 

次第に私は、指導者さんがその日のリーダーだったり

次のシフトに入っているのがわかると

担当の患者さんのベッドのシーツを最高のベッドメーキングにしたり

物品の補充を完璧にしたり(多すぎても怒られるんだわ)

怒られそうな項目を潰すことで必死だったのを覚えています

 

色々と理不尽なことを言われたり、怒られたりしていたけど

一番印象に残っているのは

ある日、ナースコールが鳴って

「はーい、今伺いますね〜」といつも通り取った後

 

「さこぴさんさぁ、「伺いますね」って

「ね」ってちょっと上からで失礼なんじゃない?

生意気だよねってこの前○○さんもそのこと言ってたんだよねー」

と突然指導者さんが言ってきた

 

え?と思ったし、

それを言われて、本当に心臓がザクザク痛くて

心がパリーンって壊れるような気持ちになったのを覚えてる

涙が出てきそうだったし、頭は真っ白、心臓はバクバクして

足が震えてたと思う

 

怖くて怖くて

でも、私は出てきそうな涙もぐぐぐぐぐぐぐーーーーーっと堪えて

バクバクする心臓のことも無視して

「患者さんのところに行ってきます」

とその場を後にした

 

○○さんもそんなこと思ってたの?

そんなに私は失礼なことをしていたの?

他には一体誰がそんなこと思ってるんだろう

もしかしてみんな、私のことそう思ってるんじゃないの

もう何がいいんだかわかんないよ

どうしたらいいんだかわかんないよ

 

もう、泣きたいっていう気持ちを通り越していた気がする

 

 

その後の私は、

怖いっていう気持ちも、悲しいっていう気持ちも

指導者さんに対する怒りの気持ちも全部全部自分の中に押し込めて

 

「無」にした

 

私の中では大騒ぎで、一大事件で、メンタルもズタボロだったけど

「無」にしようと思って、何にも感じないようにした

全然スルーなんてできないし、

家に帰ってもズーンと落ち込んで、しばらく凹んでたけど

でも、それを悟られたくなくて一生懸命普通を装ったし

テンション上げて、ヘラヘラすることでやり過ごした

 

 

似たような小さなことは色々あったなあと思うけど、

なんかもう覚えてなくて

この時のことだけはハッキリと忘れられずにいる

 

 

指導者さんは1年間で違う人の指導者になり、

次の人の指導が新人指導(1年目)に決まり、

決まった2月くらいからは私に対する態度が一変し

今まですんごい色々とやばかったのに

 

「どうでもいい」

 

この表現に尽きるような態度になって、

指導も提出書類も本当にテキトーのテキトーになったし

私に対してもニッコニコで、むしろ好意的で

「あなたならいい看護師になれるよ」みたいなことまで言い出して

二面性がやばすぎて本当に怖かった。。。

 

あなた、誰?????

 

そして、新人さんが仕事ができる人だったからかなんなのか

指導者さんのその新人さんにする態度が厳しいけれど

周りに対しては「△△さん(新人さん)はすごい!」って言っていて

それを見ている私は

「私ってどんだけダメでどうしようもなかったんだろうか・・・」

とほんと凹んだよなあ

 

 

 

ヤバい人に会ったのは偶然なんだけど、

今振り返ると根底になるのは、母みたいなところあるよな、です

きっと私は、当時も「母みたいな怖い人」と無自覚に思っていて

母に対してやっていたことを再現していたのかもしれないです

 

 

私は子供の頃から母が怖くて、

でも何にもできなかった

ただじっと我慢してるだけ、じっと耐えてるだけ

いろんな気持ちに蓋をして、なかったことにして

「大丈夫!」って平気なフリをしていただけ

 

 

 

母の場合は私が成人して子育てが終わると性格がガラッと変わってしまった

それまであれもこれもダメダメダメ!

神経質に母があれもこれもをやって、几帳面に色々こなして

私は母に見つからないように怒られないようにしてビビって生きてきたのに

 

私が高校を卒業して家を出て、その数年後弟も家を出ると

すっかりぐうたらでテキトーで大雑把でいろんなことを気にしなくて

 

それこそ、

あなた、誰?????だった

 

 

 

時々、攻撃的な人に私は目をつけられることがある

その後もちょこちょこと起こる

その度に私は今回みたいな戦法で乗り切った

 

じっと我慢して、時が経つのを待って、

時にちょっと下手に出て、いじられ役になってみたりして、

ヘラヘラと平気なフリをして、

自分の感情を全てなかったことにする

 

結局最後は、攻撃的な相手は勝手に態度を変えて

いつの間にか普通みたいになって、

うやむやで何もなかったかのようになって終わる

 

 

表面的には、本当に何もなかったかのような感じ

でも、私の中には全部押し込めて色々が溜まっていて

それがそのうちしっかり爆発をするんだ

 

 

 

そんな時、私がごまかしに使っていたのが

テンションだった

 

テンションを上げて、楽しいことで

嫌な気分を紛らわせようとした

それが私のできる最大の自分を守るための方法だった

 

 

 

当時私が1番の逃げで救いになっていたのが

音楽とライブ遠征だった

 

実際すっごい大好きな音楽に出会って、

ライブは最高で

当時mixiが流行っていて、そこで繋がったライブ仲間と

一緒にライブ見たり、飲んだり、旅行行ったり

あちこちに遠征して、昼間からビールで乾杯したり

最高に楽しかった

 

中毒、依存って言葉で表してもいいくらいで

ライブ仲間の中には、もっとライブ遠征してる人もいたし

全然私なんて序の口です!って思ってた

 

そうやってテンションで嫌な気分を紛らわして、

でも私の中には幼少期からのいろんな嫌な気分はいっぱい詰まってて

 

変な指導者さんが指導から外れて、

その指導者さんが翌年の夏に突然職場を退職して

私の張り詰めていた糸がプッツリと切れたのかもしれない

 

 

そして今までのいろんなものが大爆発したんだろうなって思う

 

 

 

上がったテンションは必ず下がるし、

上げた分だけ下がっていくものだから

 

これが全部の答えじゃないとは思うけど、

自分の過去を振り返ってみて

私がうつになって休職になったことの背景には

こういうこともあっただろうなと、思いました

 

ほんとこの指導者さんについて考えるのは

今まで怖すぎて怖すぎて、

本当に見ることができなかった過去の一つなので

この際、ブログで全放出してさよならにしようかと思います