ダイヤグラフはガチはガチだと、やっとわかったよー電球



今までもダイヤグラフは何度か書いていたので、

私はダイヤグラフのことをわかってるんだと思ってた

ちょっと甘かったアセアセ



今までわかっていたこと

・ダイヤ値は生まれた時は100だけど、必ず成長とともに下がる

・下がったダイヤ値がまた上がったら、もう下がらない

・グラフにする時、テンションとダイヤ値は関係ないので何度も上下しない

・緩やかなUの字のようなカーブを描く

・非ダイヤが非ダイヤゾーンに突入するのは20歳より前

・早いと4〜5歳で非ダイヤゾーンに突入する

・今のダイヤ値は過去を振り返った時にわかる



今回わかったこと

・最低値を見つけること

・その最低値以降は横ばいか上がるしかない

・逃げている間はグラフが上がらないか、下降を続けていること



ダイヤグラフの記事で、ナリくんが「希望だ!希望しかない!」

と何度も言っている意味が全くわからなくて

ほんとのほんとに

「何を言ってるんだろ?にっこり

と思っていました


だから、何度もダイヤグラフを書いたことがあっても

へぇーって感じでスルーしてきちゃいました




私にはこの「最低値」をグラフのどこに設定するか

と言うのが今回新しい理解に繋がりました



↑私のダイヤグラフ↑

何回か書いてるからごちゃごちゃで失礼アセアセ


水色の線が1番最新(8/28の2回目)です

黒:2/15

青:5/28

赤:8/28の1回目




これまでは、自分の最低のダイヤ値を-85としていて

振り返った時に1番辛かった、子育て期に最低値を置いていました

32歳くらいです


今が40歳なので、8年でものすごく変わったんだけど

でも何か、ちょっと極端だなって思いました


30代以降に出てくる大問題って、

表面化しただけで、もっと前から起こることは決まってたんですもんね


ダイヤ値だって、その時にはもう既に下がっていて

下がっているからこその大問題になった


・・・と言うことは、

私が今まで思っていた時期よりももっと前に下がったいたってこと



それっていつ???



時間を巻き戻してみた


2016年 32歳

次男誕生


2015年 31歳

母にブチ切れる


2014年 30歳

長男誕生


2013年 29歳

結婚

一度やめていたカウンセリングをまた受ける


2012年 28歳

仕事を辞める


2011年 27歳

休職から復職

カウンセリングを受け始める


2010年 26歳

休職する

加藤諦三さんの本で「親子関係に問題がある」的文章を読んで怒り狂う

表紙が紫だったのしか覚えてないけど、多分これ


2009年 25歳

仕事もミスが増え、動悸が酷くなる


2008年 24歳

表面的には絶好調!

ライブ遠征という脳内ドラッグで生き繋いでいた


2007年 23歳

仕事は3年目で慣れ、指導も緩くなり

ライブ遠征にのめり込む


2006年 22歳

仕事は2年目

担当の指導者さんがヤバい人でいじめられながら生きる


2005年 21歳

就職

3交代夜勤というシフトだけでキツすぎた


2004年20歳

専門3年目

実習の嵐、とにかくしんどかった

それ以外はとにかく楽しかった(東京の学校だったので)



イカ、省略🦑



2005年か2006年が最低値だったのかもしれない

そこから怒涛の逃げで食いつないだ結果、

うつ状態になって仕事を休職をした


「不安抑うつ反応」と主治医に伝えられたのだけど

適応障害のことだったと思う



休職して時間ができて(もちろん気持ち的に全く休めず)

本を読んだり、勉強をしている中で出会った

加藤諦三さんの本


読んだ時は怒り狂って

すぐに本を捨ててしまったのだけど


振り返ると、初めて母との関係で今の自分の不調があることを知って

そこから少しずつ、実は私は母のことが大嫌いだと気づくきっかけになっていました


それまで、仲良し親子、お母さん大好き!

だと思っていたんです

今となっては、正気か無気力でしかないけど

ほんとのほんとに!

洗脳マジ怖い


休職もしているわけで、病院との繋がりはあり

ある日、カウンセリングを受けたくなり

病院から紹介状をもらって、カウンセリングに通い出します


ここで話していたことも、

結局は母のことについてでした

本当は母のこと大嫌いだった、色々嫌だった!

とかそういうこと

でも、ブレーキが強過ぎて罪悪感の中で

やっと言葉をポロポロと出せていたくらいで

難産のような時間でした


長男を出産して、母にブチ切れたことがあったのは

きっとこの過程があったからできたように思います

とはいえ、ブチ切れた後の罪悪感が酷くて酷くて

全然スッキリもしていないのだけど

この時ナリ心理学に出会っていないし

母親理論なんて知らないので、当たり前かなと




一度時間を巻き戻して、もう一度再生してみたら

今までと自分の過去の見方がガラッと変わってしまって


子育てで大爆発した問題も、

母との関係に気付きつつ、でもそれに対応する術もなく

罪悪感に押し潰されそうなまま逃げていたからこそ

混乱しまくって余計に酷かったんじゃないか?


とも思えてきて


今まで「どう考えても32歳が最低値」だったのが

それもまたテンションに惑わされていたんだなあ

としっくり来ました



テンションって、

ついつい上がる方を意識してしまうんだけど

うつ状態ありで、どん底な気分なのもまたテンション


下がる方に酷く感じたことも、

ダイヤ値とはまた別だったのかもしれない



ただ、慢性的なショック状態のままでは

そのことに気付けるわけもないので

今までわからなかったのは、それも当たり前なんだ


そう思ってまたダイヤグラフを見た時に

あちこち修正点が見えてきました



ちょっとだけ、

私の中で過去の見方、過去が変わりました




それが、グラフの水色の線です

(一晩寝たらもうちょっと修正したくなった笑)




最低値はもう越してる

そして、去年より、一昨年より私のダイヤ値は確実に上がってる


正直、体感的には1ヶ月でも上がってる気さえする

右肩上がりになっている


薄々実感はしていたものの、

ダイヤグラフで今回見直した時

それが目に見えてわかりました



そっか、だから希望なんだ!

やっと、やーーーっとリブログ先で言っていることがわかって


わかったーーーーニコニコ飛び出すハート

とスッキリキラキラ

はーラブラブ



そして「1年を捨てる」

これが、右肩上がりを加速させるに繋がるのもわかった


せっかく希望がわかったけど、

嬉しいけど



人間なんて、生きてるだけで、ダイヤに向かってるっしょ。


↑リブログ先の記事の、最後の言葉を唱えて

ふーんってしておこうと思った

そんなお話でした


ダイヤグラフはガチ