おはようございまーす!

さこぴですニコニコ飛び出すハート

 

 

 

 

つつつ、ついに

この記事で言ってることが、わかったかもしれぬぬぬ

私は自分を認めるのが本当の本当に苦手で

自己受容感が低くて

「認める」こと自体が苦手だから

 

母=ゴミも、自分=ゴミも認めるのが苦手だ

 

 

認めるって、目の前にある事実を事実そのまま

「その通りです」ってすることなんだけど

何でそれができなかったかって

 

目の前にあるものをそのまま見ることができないくらい

目の前の現実が嫌だったから

そのまま見ちゃったらやってられないから見たくなかった

それくらい、自分の心を守る必要があったからだと思う

 

 

うちの母親は結構ガチな非ダイヤで

ちょっと弱いとか、雑魚いとかを通り越して

大分祖母に心をぶっ潰されて、ちょっとおかしい人

その母に育てられた私も、かなりしっかり目なガチ非ダイヤで

母の冷たい世界をしっかりと受け継いだぶっ壊れた人

 

で、そんなぶっ壊れた母とその母の世界を

そのままに見ることが

子供の頃の私にできたのだろうか???

 

 

 

そんなぐちゃぐちゃだった状態だったのもあって

自分がゴミだって認めるのは全然できなくて

 

昨日リブログ先のブログをノートにまとめて

自分がゴミだって認めちゃうと、

ダイヤモンドになるってこういうことかも?

と私の中で繋がったので

今日は覚え書きにアウトプットしようと思います

 

 

ただし!

私はナリ心理学を教えられる立場にも状態にもない人なので

一読者の一見解、一理解で

理解も不十分なところがあるということをご了承ください

 

 

 

 

 

 

 

非ダイヤになっちゃったってことは、

心の底では

「自分はこのままでは存在してはいけない」

「存在を許可してもらうためにお伺い行動をしないといけない」

とすっかり思い込んでしまって

人生を存在の許可を得るために生きてしまってるということだと思う

 

ということは、

自分のことを「ゴミだ」って本当は思い込んでしまっているんだよね

自分をゴミだと思うからこそ、このまま存在してはいけなくて

存在するために、本来は不要な行動をし始める

その不要な行動の根っこにあるのが「ゴミ価値観」

 

ゴミ価値観は母親との関係から

「これをしたら存在していい」

「これをしないと存在してはいけない」

というダイヤには不要の余計な思い込みたちのことだろうと私は理解してる

 

自分がゴミだって心の底では思い込んでいるけど

ゴミが存在していいと思うわけがなくて

こんなゴミが存在するためには、ゴミじゃなくならないようにするには

って必死にお伺い行動に励む

 

人はみんなダイヤモンドで、

生まれてきた時には自分も自分もダイヤモンドだったけど

現状は、自分のことはダイヤモンドとは思えない

ダイヤモンドと思えないから、ダイヤになろうと人の目や評価を気にする

 

まさかこんなことになっているのが、

自分の母親の問題から来るものなんて思わないから

自分のせいなんだと思って、自分を変えようとして

ますます現実が悪化していく

 

 

リブログ先の記事では「自分をゴミと認めると、ダイヤモンドになる」

と書いてあるんだけど、

自分をゴミと認める前には、

自分の母親がなぜゴミになってしまったのか?という母親理解が必要で

そこを経て「そっか、ゴミに育てられたから私もゴミになっちゃったのか」

になる

 

ただ、この間には今までやってきてしまったいろんな無駄なこと

やってこないまま大人になってしまったいろんなこと

まともな親に育てられていたらゴミにならずに済んだことなどなど

人生まるまる損をしてきてしまったことを認める段階も挟まっている

 

 

損を認めたくないから、自分はゴミじゃないって反発するし

認めずに損を取り返せる方法がないか足掻き続けたりする

でさ、ゴミ価値観を正当化させようとしたりなんかしちゃうんだよなあ

あは、あはは。。。

 

 

この辺りまで来ると、自分がゴミっていうのは

生まれてからこれまでにずっとダイヤで育った人たちや

まともな人たちと自分との違いが

・ゴミ価値観が山のようにあって生きづらくなっていること

・心を育ててもらえてないから、幼稚なままの自分がいること

・我慢ばかりで自分で決めたり責任をとったことがなく、経験不足なこと

この辺りのことなんだってわかってきて

それまで思ってたゴミとは、ゴミの捉え方が変わってくる気がする

 

↑より

 

 

自分が社会的に価値がないってのに降参できるんだと思う

人間力ないなーとか、ほんと何もわかんないなーとか

非ダイヤの世界しか知らないなーとか

 

私が期待に応えられるわけがないじゃん!って

私にはそういうの無理だわー、できないわーって

ゴミだからできるわけないわーって

ゴミ価値観を手放して行こうとするし

なんかもう、色々とバカバカしくなってきちゃうんだよね

疲れるし、疲れたし

 

ゴミでも存在していいのがこの世界だし

 

そして本来不要なことをどんどんしなくなっていくようになって

自分自身がラクになっていくことが

ダイヤモンドな現実に繋がっていく

 

このことが

自分をゴミと認めるとダイヤモンドな現実になる

ってことなのかなと、

私は1人解釈をして昨日晴々とした気持ちになっていた

 

 

 

そして、自分がどうしてこれがずっとできなかったんだろう?

と過去を振り返ってみた時に

やっぱり私が幼少期に育った環境が異常すぎたからだし、

そりゃ、私もおかしくなるわってすごく納得ができたんだ

 

そりゃ、おかしくなるわな!って

 

 

目の前のことなんて見たくない

目の前の現実を何も信用したくない

自分を守るために、自分の思ったことを正当化したい

相手がおかしいんだ、間違ってるんだってやって自分を正当化したい

そうでもしないと、やってられないんだ

 

そんな自分がわかったし、

母親もそうだったんだろうし、

 

うちの子供たちもそんな状況で毎日を生きてるんだよな

それが今の子供達の状態でちゃんと出てるんだよな

に繋がっていった

 

 

 

長男10歳4ヶ月

次男8歳8ヶ月

やばい。とにかくやばい。

 

もっともっと認めることってたくさんあるし

とにかく態度で、生き様でもっともっと

子供たちに「君たちが生まれてきて、母嬉しい!楽しい!大好き!」

って示していかないといけないし

多分、ずっと何にも伝わないと思う

そのうちにどんどん子供だから成長してしまうし

 

でも、

君たちが生まれてきてくれて、母嬉しい!楽しい!大好き!

これは死ぬまで続けていこうと思ってる

伝わらなくてもずっと

この先どんなに信用してくれなくても関係ないな、って

それ以外ないよなってすごく強く思うことができたんだ

いいブログ記事に出会えてよかったし、

やっとわかってよかったって思う

(悲しいことに過去に何度もこの記事をノートしているという事実もある昇天