人はみんなダイヤモンドダイヤモンドについて



鉱石のダイヤモンドについても

リブログ先の記事に↑こんな風に説明があって


人間も同じだよー!

機能が高くたって、低くたって(何ができても、できなくても)

人間の存在に対する価値はみんな高いんだよー!


って説明してくれているんだけど、

私は存在価値と機能価値を分けて考えるのがなかなか出来ずに、うーんうーん言ってる人でした




私自身、苦手なことやできないことがハッキリしていて

人と比べた時に「できないこと」が目立つタイプです


忘れ物が多いとか、不注意が多かったり、考えるのが苦手などのやらかす系はわかりやすいので

怒られたり注意を受けたり、苦手克服への取り組みを勧められたりが多かったなあタラー



そういのもあって、自分の今までを振り返ると、

とにかく「みんなと同じようになりたい!」という思いが強烈でした


それで頑張ってみてもやっぱりみんなと同じようにできないから、

自分は劣っているし、このままの自分じゃダメだ!とも思っていました




それが最近、

・みんなと同じようにできなくても、それと存在は関係ないか

・できないことはたくさんあるけど、私は私でいいんだ


という感覚を前と比べたら持てるようになってきて

機能価値と存在価値は少しずつだけど、分かれていっているような気がしています




でもどこかまだ、しっくり来ないところはありました



それが、↑でも書いてある「ただ光る石っころなのに」

って言う部分で



それは「光る石」を、「発光している石」として私は捉えていて

「何で何も使えないし、ただの石なのに光ってるんだろ?」

とか

「どうやって光らせるんだろ?」

と思っていたからなんだ電球ってことに気が付きました




でも、鉱石のダイヤモンドってキラキラ光っているのは発光するからじゃなくて

外からの光があって光ってるだけ


それは人間も同じで、

人はみんなダイヤモンドだから

生まれた時から何もせずに光っているのだとしたら



もしかして・・・


それをただ私が「私だけ光ってない泣くうさぎ光らせなきゃ泣くうさぎ

って勘違いしちゃってるだけなのかも????



あれ?

もしかして、別に自分を光らせようなんて

考えなくていいってこと???




それって、世界はずっとこれまでも優しいのは変わらず、

私に対してもずっとダイヤ対応をしてくれていていたのにも関わらず


私が気付かず「世界は冷たい」ことにしていたから、

自分自身が光ってることも気付かなかっただけなのかもしれない



人はみんなダイヤモンドだから、

そこにいるだけで反射し合って光っているのに

私だけダメだから光ってないショボーンって思い込んでいただけだった?



私の目からは、たくさんの人たちが光って見えていて

それは、この人たちは発光できている(機能価値)から光ってるんだ!

でも私だけできてないんだ!

って決めつけていたけど


そもそも誰も発光なんてしていないし

光って見えたのは「私もすでに光っていたから」

だったのかもしれない



そんな風に思えた時

少しダイヤモンドについて、

そして私自身について、見え方が変わって

フッと一段と楽な気持ちになれた気がしましたほんわか




私はナリ心理学®️の考え方が好きで、日々参考にしてはこのブログを書いています


今年は特に母親理論講座の受講を通して、

母親と向き合うを集中して取り組んだ1年で

1月の自分と比べたら、かなりラクになって変化を感じられた1年でした


でもまだまだ!

ダイヤを思い出す途中にいるのは変わらないし

学びや実践はこれからも続けていきたいので

ブログにアウトプットするのも続けていこうと思っています鉛筆


どうぞよろしくお願いしますおやすみ