昨日私が書いたブログのアンサーブログキタ

(って思っちゃう時あるよね笑ううさぎ)



感度が悪いから、自分のことがわからない

自分の好きなことがわからない


ながらで他のことをやるから、五感に集中できない



ほんとそれだと思います

非ダイヤな私の場合は、もっと濃度の濃い頃から常に不安と恐怖感で脳みそがやられていたから

目の前のことに、そのまま集中するのはとても難しかった


脳内が自己否定でギッシリ埋まってて

他のところどころじゃなかったなあ


このブログを読んでから、

そういえば最近、夜ご飯の時に子どもたちが遊んだままだったり

ご飯の前におやつを食べて、ご飯が進まずゴロゴロしているのを

もー構うのやめよ、と思って

(最初にご飯だよとか声をかけたら、しつこくしない)


子どもたちがワヤワヤしているその脇で

ご飯を1人黙々と食べる時があるんですが、

そういう方が、

炊き立てのご飯がうまーい照れ

とか

白茄子を焼いただけのものの美味さが異常おねがい

とか

れんこん大好き過ぎる爆笑

とか味わって食べてるなあと思った


子どもが生まれてからずっと

子どもにご飯食べて貰うこととか

食事のマナーと称したゴミ価値観で食卓を縛ることとか

もー、自分のご飯どころじゃないし

あーだこーだ、あーしろこーしろってうるさくして


私も子どもたちもご飯が美味しくなくなってたなあ

って思った


振り返った時に、そういう自分の余計なことが思い出されるので

最近は、食事の時にあまりガチャガチャ言わないようにしてる


子どもたちは、ご飯の時に一緒に食べることもあるし

集まりが悪かったり、集まっても周りでゴロゴロしてたりする


で、私は「いただきまーすニコニコ」って食べてる



うちの食卓がいいか悪いかは置いといて、

ご飯を食べる時、ご飯に集中するとおいしいから

五感に集中って大事キラキラ



あと、私は音楽が好きで普段から自分の好きな音楽を聞いているのだけど、

今までは家事をしながら聞くことが多かった

家事を楽しく進めるため、だったんだけど


最近は家事をしない時も

歌詞を見ながらじっと音楽を聴いて

あっという間に時間が過ぎていることが時々あって

至福のひとときでしかない


家事をしながら音楽を聞いている時でも

何だかノリノリになってきたので

家事を一旦放棄して、音楽に合わせて踊り出して

満足したら家事に戻るとかも、よくやる


最近のイチオシは

サカナクションのモス

イントロからノリノリルンルン


一郎「マイノリティ〜🎶」

私「マイノリティ〜ニコニコ飛び出すハート笑い



1人フェスを開催して、

ライブを見ている気分で拳を上げて楽しんじゃったりもする

Apple Musicサブスク勢なので、曲は聴き放題!

昔の曲から最近の曲まで楽しめちゃう

やっほーいニコニコ飛び出すハート



その曲にどっぷり浸かると、

大好きな音楽がより大好きになるし

違うことをしながらで聞くより、

歌詞と一緒にどっぷり曲に浸かるとか、

聞いて踊っちゃうことに夢中になるとかの方が

ずっと楽しいキラキラ


私は昔から音楽を聞くことが好きだったから、

まずは聴覚

好きで得意?なところから五感を浸るを

目一杯やっていこうと思う


音楽聞いて浸るのは得意グッ







ここからはちょっと違う話↓


昨日の自分のブログにも「自分を認めること」について書いて、

私が1番認めたくないもの

自分でわかってて、知らないフリをしてるものって何だーーー???

と昨日はぐっと考えてみた


やっぱり、

とにかく人の目を気にしてしまうところ

人が怖いところ、対人恐怖症なところ

めんどくさい程に気にしぃなところ

この辺りかなあ?と最初出てきた


ノートをしていたら、

次男ことがふっと出てきた


うちの次男は今、8歳の小学2年生

元々外に出るのが好きではなく、

2〜3歳の頃には外では他の人と話せず、固まっちゃって

場面緘黙症という診断を貰っています


家ではよく話すし元気なんだけど、

それ以外の場面では話せなくなったり、

次男の場合は給食などが喉を通らなかったりする時があった


児童精神科にも受診をして、主治医には

ASD(自閉スペクトラム症)の気質が少しだけあって、でも知的に問題がないから

自分が他の人と同じようにできないこと、違いが自分でもわかってしまう

繊細さから不安が強くなって、

そこにASDの特性で対応できなくて更に不安や緊張が強くなっているのではないか?

という見立てを教えてもらった


ちなみにこれは初回の受診の時のお話で

ちょうど今日、次男の発達検査の結果を聞く日なので

また見立てが変わってくるところもあるはずなので、

今のところは、という感じです




で、この見立てを聞いた時、

なるほど!という思いと

「わかるーーー」って思いが同じくらい私の中に湧いた


私は、自分のことは自分の過去の振る舞いなども含めて

自分は対人恐怖症(社会不安障害)だろうなと

以前から思っていて、でもそれをずっと否定していた

そんなのダメだよ、普通のフリしなきゃって



でも、

今次男の特性と、長男の特性と、ASDの特性理解をしていくと

もしかしたら、私にも似たような特性があって

「子供の頃から実は困ったり、頑張ったりしていたんじゃないかな」

と思うことや

「私はできていたと思っていたことが、本当はできていなかったんじゃないか」

と思うこともある


うちの母親は未診断だけど、私はASDだろうと思っているので

その娘の私にASD色があっても何もおかしくはない


うちは、夫もASDだろうと思っているけど

私もASD色があるなら、

長男と次男がASDで、似たような特性があるのなんて

これまた当たり前



その中で、私が自分でも勘違いし続けたセルフイメージが

「私はよく喋って、話好きだ」

という部分の話好きが「人相手でも」というところ


自分の好きなことを喋るとか、

物事の説明をするとか、

音読や原稿を読むとかは得意です


でも、人相手にコミュニケーションを取るのは

すっごい苦手

母との関係が原因なのもあるけど、


自分の気持ちを話し言葉として話す、が

元々の特性的からの苦手さってあったんじゃないかなあ

と今振り返るとそんな風に思います


私がお話上手だったという評価は

(母と祖母の評価なので当てにならないんだけど爆笑)

自分の頭に浮かんだこと、好きなこと、何で?と思ったことをただペラペラと話していたことと


あとはやっぱり、音読が得意だったからだと思う

小学生って、音読すると褒められません???

宿題熱心みたいな感じで高評価じゃないですか!


多分、その評価が「お話上手」だったのでは????



確かに小学生の時は、音読発表に選ばれて

全校朝会の時に学年代表で音読したり

運動会の放送係に選んでもらったり、

放送委員会に入って下校のアナウンスしたり

確かに喋ってはいたよなーって


でもそれって、決まったことを喋ってただけだなーって

喋れるっちゃ喋れるんだけどね


そういうのもあるから、私は自分が話す時には

何かの正解やセリフ、パターンを探してそれを話そうとしていたのかなあ?

と思えたら


ああ、もう、なんか頑張るのやめよーーー


ってふっと思えてきてしまった



もちろん、感情にフタしたり、抑えつけて出てこない思いは山ほどあるから出てこないせいなのはあるけど

でも、話し言葉で苦労しようとするのはやめよーと


自分が話したい人となら話せるから、

話したくない人と話すの、やめよー

そういう時は社交辞令を積極的に使おう!

社交辞令の定型文を準備しよう


でも、話し言葉で伝えたいって気持ちはあるから

伝えられる話し言葉をノートしてまとめて

そうやって伝えていけば良いやと

「発表」として伝えていけばいいんでないの?と思った


そうそう

幼稚園ではお話ししなかった次男がなぜか

発表会の桃太郎の劇で、桃太郎役をゲットし

セリフをちゃんと言えていたのだけど


次男もさ、ほんとは話したいんだろうなって思う

話すのが苦手だからこそ、話し言葉で伝えたい思いがある

話せるんだよ!って気持ちがあるんじゃないかと思う

でも、発表は、まあできるんだと思う

(もちろんその時のクラスの先生との関係性が良かったのとかあるけど)



そんな感じで、

私も対人恐怖症で、人と会うのが怖くて、話し言葉が苦手だけど

工夫しつつ、これからは頑張るのをやめて

そのままでいる練習をしようと思った、そんな話です