リブログ先のブログを

ノートにまとめた後に書いた感想1行目

「これ、私のことすぎて痛かった、動揺が止まらない」

だった



何もやりたくない、動きたくない、変えようと思えなくて

でも、そんな風に堂々と言える場合でも度胸もなく

「自分でもやろうと思ってるんですけど!」

ってひたすら空回りをしていた自分を思い出して

とにかく恥ずかしいやら、痛いやらで、キツかった



ブログの内容は弱い人間の戦い方として、

まずは自分はダメだからできない、絶対できない

という脚本を自分で書く

そして、他人に弱いものアピールをして励ましてもらい、それでもやらずに変わらず

やっぱりダメだったんですと、ダメな自分を強化していくというもの



↑この「弱者」とついつい混ざっちゃうので

今日も自分用覚書に


こちらの記事の弱者は親ガチャ外れで

親ガチャ当たった人と同じようにはできない

という意味の弱者


前提や世界観や今まで生きてきた環境が違うので、

ダイヤと非ダイヤでは、聞いていい言葉が違うし

同じことをやろうとしたら非ダイヤは心がぶっ壊れるか

何かに依存するか、ぶっ壊れる前に逃げるかしかできないので

ダイヤと同じように出来ないという弱者


こちらは事実



弱い人間、とか、弱者戦略の弱者は

自分のことを弱い人間だと思うことによって

自分は悪くない、全部誰かのせいだから

私は何もしなくたっていいと自己正当化するためのもの


たとえ困っていたり、どんなに大変な状況でも

その人が弱い人間なわけじゃなくて

あなたは、普通の人間ですよ

ということ


弱い人間だと思っているのは、その人の自己防衛法なだけだから

こちらは事実ではない




私は自分では無自覚だったけど、

同情してもらって出来ない自分を守ってたし

同情してくれない人を冷たい人だと思ってた


そして、何でそんなに冷たいんだろう?

私のせいなんだなあってグジグジやってたけど


ほんとに自分のせいだった、という昇天


私が弱いものアピールして同情を引こうとするサマが

周りの人は非常にウザくて気持ち悪かったんだよね

私のやり方で通用する人がいるから(エセ同情の人もいたと思うけど)

それで通用しない人に対して、敵認定をしてたのは

紛れもなくこの私である



可哀想扱いについての記事、弱者戦略についての記事を読むと

自分が親や周りの人の弱者戦略に巻き込まれやすいのと

私自身が全方位に可哀想扱いをして見るクセがあるので


うっかり「同情をやめなきゃ」「可哀想扱いダメ!」「罪悪感持つ必要ないのに」

という方向に考えてしまうのだけど


多分これって、ちょっと違うんだろうな

と思った



結果的に、同情をするのも引くのもやめられて

可哀想扱いからダイヤ扱いに変わって

罪悪感を必要以上に持たなくなればいいけど


今の私が一気にこれができるわけがないな、と


人間だから罪悪感は感じるから、なくすのは無理

同情やめる!ってやめれるものじゃない


湧いてきた感情を敵扱いして、押し込めていたら

今までと変わらないもんなあーと





そこで、今の自分はどこから手をつけられるか考えてみた



まず、同情に乗らない人を敵視するのをやめること

だと思った


勝手に弱いものアピールして同情を引こうとしてるのは、私だけど

周りの人って私の脚本に乗らなくていい

この世界にいる人たちは、それぞれに自分の人生を生きているだけだから

私の脚本に出てくる人ではない

って認識をしっかり持つ


そもそも人のことを同情したり、可哀想扱いなんてしなくていいんだから

私が弱い者アピールをしようがしまいが

周りの人はそれに反応しなくたっていい


むしろ「ウザっ」と思ってくれる方が

ちゃんとダイヤ扱いしてくれているし


「え?この人何言ってんの?」

とちゃんと無視してくれること、無関心で興味も持てないことが

私のことをダイヤだと信じてくれていることになる

って理解すること



こうやって、今まで自分が敵視していた人の反応を

敵視じゃないです、ダイヤ対応です

に変えていくこと


ここからだと思った



可哀想扱いをやめよう

弱いものアピールをやめようと意識するのは

めちゃくちゃ大事なんだけど


周りの人の反応や対応を敵視したり、

冷たい世界前提で見てるなら意味ないなーって


周りの人たちはずっとずーーーっと

自分のことをダイヤ扱いしてくれていて

別に私のことを陥れてなんかいない

しっかり普通の人間扱いをしてくれていた

そういう風に認識を書き換えていくこと


ちゃんと、世界からダイヤ扱いされてたんだよー!

って自分が受け止めていくこと



そっちからやっていったら、

弱いものアピールがいらなくなるし

自分が可哀想な人でもなくなる


世界の前提を変えて、自分の認識を変えていくって

こういうことなのかなー?

とふと思えて


自分の湧いて来る感情を抑えようとしなくても

世界が優しいものならば、

そんなに過剰に不安や恐怖感を持たなくていいのかもしれないと

ホッと気持ちが緩んでいくような感覚になりました



結局、世界が冷たくて、世界が敵だらけだから

自分を守らないと!と思って

自分は何もできないダメ人間だからできません!

って弱い者アピールをする


みんなが私を責める!と思うから

自分のせいにしたくなくて、罪悪感で人をコントロールしようとするんだもんなあって




同情に乗らない人、弱い者アピールに乗らない人を敵視すると、

私はいつまでも人にもダイヤ扱いができない

冷たくて嫌なやつになんてなりたくないから


でももう、弱い者アピールも可哀想扱いも同情の世界もやめたい

自分も、自分が巻き込まれるのもやめたい


ダイヤ扱いを自分にも、周りの人たちにもやっていきたい



だから、まずは人を敵視するのをやめる


世界は私が生まれるずっと前から何にも変わってないぞー!


私が母の元に生まれて、非ダイヤ環境が当たり前で

非ダイヤホイホイだっただけだったんだぞー!


そっちを信じていく

私はただの普通の人間

サル目ヒト科のヒト族のヒト


まだうっかり弱い人間アピールしちゃうけど、

みんなと変わらない人だし

世界は前から私のことを、みんなと同じ人だと思ってた


そういうのを思い出すことからやる

できないできないと言うだけじゃなくて

やれることからやる


弱いものは弱いが事実だと思う

私は雑魚いし人生経験ないし素直なアホだから

でもそのままで、やれることをやる

もう戦わず、やろうと思った記事でした