ちょうど今、自分がした少しの我慢が
モヤモヤモヤっと大きくなって
「もっと早く対応してたらよかったのにー!」
と思える出来事がある
まだ途中なので詳細は伏せますが
家の中の修理の件で、
ハウスメーカーさんのアフターサービスを利用して
修理を進めているんだけど
7/11に修理依頼をしているのに、まだ終わっていません
2箇所お願いして、1箇所はとりあえず直り
でもこちらも途中で不具合や担当者のミスがあって
うやむやな感じで終わりました
終わらないことにも「いつ終わるの?」と思うし、
一連の対応を振り返ると「それってどうなの?」
という点が複数出てきました
ノートに日付を書いて時系列に書き出すと、
これって誰(業者さん?担当さん?)が決めたんだろう?
これは向こうのミスだけど、謝る態度が見られなかったな
もしかして、代金変わってくるかも?
など、確認したいことが出てきました
そこで、ハウスメーカーに連絡して
担当者さん以外で事情がわかって、事実確認ができる人と話したい旨を伝えて
今はそれの調整中です
そういうモヤモヤがあった中で、
リブログ先のブログや
そこで募集していたゴミ価値観コメントを載せた記事を読んで
改めて今回のことから、自分のゴミ価値観を掘ってみた
それがまた、中々進まなかった
頭の中だと言葉が出て来るのに、文字にしようとすると頭が真っ白になったり
胸やお腹がずーんと重たい感覚になったりして
苦し過ぎる難産のよう
でもまあせっかく出産したので、
ここにも書いちゃうことにした
リブログ先の記事は、
過去を遡った時に、どこかで一つの我慢をしたことが原因で
それがどんどん広がっていって、今の現実(問題あり)が作られた
目の前で起きたことそのものが問題ではない
我慢は、他の人の目を気にして生まれる
そういう人の目を気にすることが、我慢したり頑張る元になっている
だからゴミ価値観に気付いて捨てること
という内容で
今回の私のモヤモヤの原因、母との関係ともあわせて考えて
どんな要素があるかな?とノートに書き出してみた
まず、
私は自分のことをどう思っているのか?
・間違っているから、責められて当然だ
・私は人に嫌われる存在だ
・間違うことも、何もしない・できない私は恥ずかしい
・余計なことを言ったりやったりする
私の自己保身の方法
・自分の思ったことを言わない、何なら思わないようにする
・何もしないことで正しさを主張したり、自分を正当化する、相手を庇う
自己保身の行動
・隠す
・うやむやにして我慢する
・事実を歪める(自己洗脳)
・溜まった思いが結局爆発して、正しさ攻撃をしてしまう
私の中のジャッジ
・正しいことが⚪︎、間違いが×
・わからないことが×
・段取りが悪かったり、ハッキリしないことが×
ゴミ価値観
・私が思ったことは間違っているので言ってはいけない
・私は理解力のないわからずやなのでダメ人間だ
・自分の頭の中で考えなければいけない
・人のミスを指摘してはいけないし、明らかにしてはいけない
・自分の方が正しいのはおかしい
私の正しさを証明するやり方
・自分を抑えてその場をやり過ごすことで
「なんだ私間違ってなかったじゃん」
「私の方正しかったんだ」を確認して安心する
今回、家の修理が進まなくて、不具合が起きたりした時に
「それ、ちょっとおかしくないですか?」
「それってどういうことですか?」
ともっと早くに聞くことができなかったのが、私のミスなんだけど
何でそれが出来なかったのか?には、ごちゃごちゃと色んなものが潜んでいて
私自身が自覚できていなくて、
ついついいつも通りの「やり過ごす」をしたんだなって思った
言いたいことがあって言えなかったのではなく、
後になって振り返るまで、言いたいことすら頭に浮かばず
「なんだ?なんかモヤモヤだー」
って思いながらも対応できなくて
何度も担当者さんとやり取りしたりしたけど
その都度小さく小さく溜まっていって
今になって「あー!もうやだ!不信感しかない」
って気持ちにまで発展したんだなと思った
担当者さん自体、質問してもうやむやな感じだし
段取りは良いとは言えず、何度も連絡が来たり
書類等の不備も多くて何度も対応になったりと
ポンコツ具合が私と同じような方です
だから私は、自分のポンコツ具合も
認めているフリをして、
認めきれていなかった、ってことなんだな、と
自分のポンコツ部分をまだ否定していて、
許せてないんだな、と
今回の担当者さんは、以前までの方の後任だったのですが
これまでの担当者さんが、こちらが何も分かってなくても
驚きの速さと段取りで、修理や依頼を済ませてくれる方で
今回の人もそうだろう、と思っちゃってたところもある
うっかり油断をしていたのもあるけど、
結局は私の中に「私の思ってること、感じたことの方が間違いかもしれない」
と思い込んでいる部分が、色んな「あれ?」に気づかなかったんだと思う
しかもそれを「やり過ごす」とか事実確認しないで「隠す」ことが染み付いているから
ついつい困った時には、そういう行動を取るのが私
余計に自分でも気付かなかったんだ、というのもわかった
じゃあ、何で隠したいんだろう?
ひとつは、自分の方が間違っていたら、勘違いだったら指摘して恥ずかしいという気持ちと、
指摘する、が、イコール責めるに繋がっていて
自分が相手を責め立てたら、相手は傷つくだろうなって言う
可哀想扱いで相手を見てしまうこと
(相手がもしかして非ダイヤさんなのかなあと思える時は特に)
それが、咄嗟にぐっと自分を抑えて庇ってしまうこと
そういう気持ちや動きが自分の中にあること
自分は間違ってるのに、自分が正しいというのは
相手の間違いやミスを明らかにしてしまうことになる
私が隠したいのは、うちの母親の異常なところ
ずっと、自分が悪いから母親がおかしいということにして
世間体を守るために、私を悪く見せてきたのに
私が悪くなかったら、世間にうちが変なのがバレちゃうじゃん!!
って、それが怖いから隠そうとすること
それが、母以外でも似たような状況になると
ついつい事実を明らかにするのを避けようとしてしまう
これが私の中でぐちゃぐちゃに絡まってて、
怖いしわけわからないし、これまでずっとそうやって来たから
私の中全体が隠蔽体質になってしまっているんだなあ
ってことなんじゃないかと思う
我慢は、他の人の目を気にしてやること
なのだとしたら、
私は世間からうちの母親の本性を隠したくて
ずっとずっと色んな我慢をしてきたのだと思う
外では静かで仕事熱心で他者には無害な母
その像を守りたくて、
世間の人にバレないように
世間の人には母の本性を知られてはいけないように
って、
私は子供の頃からずっと思っていたのかもしれない
そういう母親の庇い方
そんな自分の今までのことや、
今回モヤモヤして、このままはもうやだなと思った気持ちも合わせて見た時
今までは自分を抑えてやり過ごして、
そうしてまで正しさの証明をするのに必死だったけど
正直そこまで、正しさっているのかな?と思う自分がいた
別に、私の方が正しくなくてもいいんじゃない?
間違ってたら、そりゃ恥ずかしいし、嫌だけど
でも、「ほんとはどういうことだったか」がわかって
「そうだったんですか!」って納得できたら
その方がいいんじゃないのか?
今までの正しさの証明だと、
必ず最初に自分を抑えたり、我慢が入るから
それってムダだし、我慢するのなんてもうやだ!
そうやって、自分を我慢させてやり過ごすのは悲し過ぎる!
自分のそういうところが、どんどん嫌いになる!
そんな思いがどんどん出てきて
もうやめよ!
しばらくは同じミスをするとは思うけど
でも、やめていこう
とハッキリ思えた
早速ノートに書いたゴミ価値観には×を書いて、
「それ、どういうことですか?」をおまじないにすることにした
最初は言えなくても、それってほんと?って疑って物事を見てもいい
自分が勘違いや間違ってても、聞いてみてもいい
そもそも、この世界に正解はないんだったから
忘れたら思い出すの繰り返しもやっていこうと思う