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リブログ先の記事も、悲劇のヒロインも

自分に当てはまり過ぎて痛かった



私が自分のことを「まとも」だと勘違いし続けた原因もこれ

今もまだ、勘違い継続中なところはあると思う


うちの家族はヤバい、うちの母親も、母方の祖母もヤバい

ちょっとヤバいんじゃなくて、本当におかしい

って気付けないし、私自身がそう思いたくなくて

ずっと「うちはちょっとお母さんが変なんだよ」

と言うことにし続けていたから

いろんなことがしっちゃかめっちゃになってしまった



私は、

事実を事実として見る、が恐ろしいほど全く出来なかった

それは事実を歪めて、自分の解釈の世界で生きていたからで

色んなことの辻褄が合わなくなっちゃって


母の方が正しくて、普通でまともだから

私の方が悪くて間違ってる

の公式から余計に抜け出せなくなってしまっていたんだ




「どう考えても、我が家も母がトチ狂ってるんだけど

ちょっとおかしいかなー?」

「まあ、他のうちのお母さんとそんな変わんないよね?」

って、自己洗脳をしていったから

スルーできたはずの問題を起こしまくっちゃったんだなあ




この部分もわかるわかるだった


私母のムツゴロウさんだったので←

ライオンに噛みつかれてるのに、仲良し!とか

言葉がわかる!って本気で話をしていた


ほんと本気で笑い泣き


でもやっぱり、本音は「何言ってんのかわかんない」

だった

日本語を話してるのはわかる

でも、行動と言ってることが違い過ぎて、意味がわからなさ過ぎて


でも自己洗脳済みの私は「わからない私がダメなんだ」

「もっと理解しなきゃ」「母に分かりやすく伝えられるようにならなきゃ」

と、母を普通扱いして子供の頃からやって来たし

抜け出すの大変だった

今もしっかり抜け出せてるのか正直自信はない部分はある



それくらい私は洗脳済みで、認知がぐっちゃぐちゃで

事実を事実と捉えることができないから

(元の認知が歪んでいるから)

自分に対する評価もおかしくて辛かったし

それはそれは相当な高い脳内理想で、空回りし続けたから

ぶっ壊れたんだけど、当然過ぎてどうしようもない




ただ、この自己洗脳も私が望んでやったことじゃないし

好みで選んだわけでもなくて


「うちは幸せ家庭だ」って思わないとやっていけなかっただけで、

それくらい、逃げられなくて追い詰められていて

18歳で実家を出るまでは、反抗すら出来なかったし

母親問題に気付いてからは、母と戦うしかできなかっただけなんだと思う



記事の中にも普通を手放せない、まともを手放せないのは

「過去を認めていないから」

と書いてあって、ほんとにそうだと思った


自分の育った環境、母のこと、父のこと、祖父母のこと

事実を事実としてそのまんま見れなかったから

見れない以上は、どうやったって認めるなんてできない


過去を事実として認める

うちの家庭はヤバい

うちの母親はヤバい

うちの祖母はヤバい

それに対して何もしない父も祖父もヤバい

何にも普通じゃない、幸せなんて何もない

どこにも感謝すべき要素なんてない


私の生まれ育った環境は、全く恵まれてなかった

あの中で育ったこと自体損だったのに


あの環境を普通だった、ちょっと変くらいかな

と思わなきゃいけないくらい追い詰められた子ども時代は

大損でしかなかった


自分の認知がおかしくなるような環境でしか育てず

大損だった


だから今自分の心は育ってないし、価値観も認知も変だし、人生経験もゼロなんだ


それは、ただの事実だから

事実は事実というだけなんだよね




今まで、損を認めるって言うのが全然わからなくてどうしようもなかった

損を認めるための記事は何回も読んだし

何回もノートに書き写した


それでも、ぜーんぜんわかんない、ぜーんぜんできない事だったのだけど

今回できない、わからないについても

「そりゃ当たり前だー爆笑」ってスッキリ思えた



だって、過去を見ずに、事実を歪めて見ているうちは、できないことだから

損を認めるとは、自分の人生、過去をそのまま事実として認めることだから



母親のことも、事実のままゴミとかキチガイだって認めなければ

自分の子供時代についての損も認められないんだってわかって


損を認めるってすごく難しいことなのかと思っていたけど

ちょっと勇気はいるけれど、自分の過去をそのまま事実だったと自分が認めていくだけだった




そして、認めていない部分が悲劇のヒロインになったりして

事実に対する対応にしてはおかしいことをやってしまうし、

その結果また問題が起こるし、事実を歪め続けるに繋がるんだ




私もまだまだ悲劇のヒロインをやってしまうところがある

それも認める


秒ですぐなる

すぐ悲劇のヒロインになる

(祖母から代々受け継いでおります昇天)

ドラマチックが好きなんだ

それが私だ



事実を事実として認めていく



ただこれだけの作業だけど、やるしかないーーーー

損を叫んで泣いて、めちゃめちゃに発散させながら

とにかく自分の人生の損、過去と自分を認めるしかない




私が自己洗脳を解いていくために、事実を見ていくのは

このブログに毎日毎日色々書き続けたのはすごく効果的でした


「自分だけの中に隠そうとしたくない」

と思って始めたのだけど、

架空の誰かに向けて宛てた、自分の話をするというこのブログは

結局は自分が話したことを自分が1番読んでいて


いかに自分の中だけで事実を処理して、

一番見たくないものだったかが、よーーーくわかった


事実は事実であってはいけなかったんだなって

だから私の中で隠しておかなければならなかったんだなって


損を認めるについての記事を読んで、

自分を振り返ってそれがわかった






自分が事実を歪ませているだけで、

事実は事実

過去にあった残念なことは残念なこと


それが「損を認める」か


そりゃ、今までの私の超苦手分野だよー