父親と自分の関係について、今までを全部ひっくるめて振り返ってみた


うちの母は、世界の全方向を否定する人だったため

その中で1番否定されて貶されていたのは、父だった


今考えると「何それ?」と思えることも、

母自身と父を比べては、自分の方がすごい!と言っていた

父の小さなミスについても口出していて

例えば車に乗っていると、父の選ぶコース、スピード、停める場所などなど

ぜーーーんぶ文句ばっかり言ってた母


「お母さんに似ているところは⚪︎、お父さんに似ているところは×」

を堂々と宣言していて、

「姉ちゃん(私)は顔はお母さん、心はお父さん

弟は顔はお父さん、心はお母さん」

と何度言われたかわからないほど言われた



そんな事もあって、私はすっかり「父=ダメ」と思い込んで20歳くらいまで過ごした

父はADHDっぽいところがあって、かなり不注意でうっかりミスることが多く

そこも私は結構似ていたので「最悪!」と思っていた



父はどんな人だったかと言うと、

母が夜勤ありの仕事だったので、その間の子どもの面倒を全部見てくれていました

両親が仕事中は、私と弟は父方の実家に預けられていたので(学校も父方実家に帰った)

父の仕事が終わると父が迎えにきてくれて、自分の家に帰っていた


時々子どもたちが言うことを聞かず、キームカムカとキレることはあり、

それ以外は明るく穏やかに、家事も分担して過ごしていた人でした



私が幼少期の父への見方は「父=ダメな人」なので、

心の仕組み的に、お母さんはこんなダメな人と結婚して可哀想になっていたと思います



父への見方は、20歳を過ぎた頃から変わっていきました

私が東京に進学して、父が千葉に赴任?出向?になって

時々一緒にご飯を食べに言ったりして、

1対1で話す機会がぐっと増えたことで

「そんなにお父さんってダメかな?」

と思うようになったのかもしれません


父は会話ができる人でした

確かに私は父に似ているところも多くて

理屈っぽい同士、色々語り合うこともできました

父は基本的には穏やかで優しい人だと思います



父への見方が変わって、父方祖母への見方も変わりました

母は父方の実家にお世話になっておきながらも

けちょんけちょんに文句ばかり(言いがかり)言っていたので

私はこれまたすっかり、父方実家はダメなお家と思い込んでいましたが


「いや、ばーちゃんはお母さんの言うようなダメな人じゃないと思うけど・・・」

という認識に変わっていきました

20代半ばくらいだったかな?


父方の祖母は多分、ぷダイヤなんじゃないかと思います

とにかくのほほんと穏やかでいつもニコニコ優しい人で

振り返っても、お転婆だった私はイタズラして「こら!」と言われることはあっても

ウザいことを言われた記憶がありません(まあ、孫だしね)

記憶だから曖昧だけど、祖母は不安から行動してたようには思えないし

何よりおおらか過ぎていい意味で、かなり大雑把でした


その大雑把さ、おおらかさ、のんびりした感じが

母は気に食わないようで、ダメだダメだと言っていた感じです



父はダイヤだったかと言うと、私は非ダイヤだと思います

それは、父がとにかく祖父のことが大嫌いだったから

祖父は孫の私にはただの孫好きじいちゃんでしたが、

典型的昭和の親父で、男尊女卑が如く家庭内で君臨いた人のようでした


父のきょうだいは、上に姉、下に妹がいる3人兄弟で、父は真ん中でした

父の話だと、祖父は父が小さい頃バイクに父を乗せて色んなところに連れて行ったそうなんですが

父はそれがとにかく嫌で嫌で仕方なく、とにかく祖父が嫌いだったようです


父の姉、妹からも「小さい時から⚪︎⚪︎くん(父)はよく父ちゃん(祖父)とケンカして家を飛び出してたんだよ」

という話を聞いたことがあったし、父が祖父を嫌いなのは知っていたので

子供の頃からずーーっと合わなくて嫌いだったんだと思います


極め付けが、父の就職先を祖父が勝手に決めてきてしまったこと

これが父にとってはとにかく頭に来て仕方なかったそうです(そりゃそうだわ)


祖母のことは何一つ言及されないのだけど、

きっと祖母は何も言わず、何もせずいたのかなと思います

父としては助けて欲しかったのに、助けてくれなかった


祖母は昭和親父になすすべなしと思ったのか、または祖母の性格か

多分何も言わず、何も動かず、不安から何か動くこともなく

過ぎるのを待っていた状態になっていたし、

そこまで父が辛く思ってたとは、祖母は気づいていないような気もします



だから父は、きっと非ダイヤ

祖母を弱くて可哀想と思っているけど、無自覚なだけのように思います



振り返ると、私は成人後、実家のこととか帰るとかを

母とも連絡を取りつつも、父と取っていました

父が盛岡に赴任になって、私が仙台に住んでいて

実家に帰る時、盛岡で待ち合わせて父の車に乗って帰っていたので

そう言うのもあるんだけど、父の方がやり取りがスムーズで楽チンでした


だから、私と父は1対1では割と仲がよかったなあと思います



それが、30代過ぎてから対立することが増えて

実家で私が母と話をしているのに、父が入ってきては

2対1で言い合いになって、その隙に母が抜け

私と父でケンカしていることが増えました


それがどんどん、父が入ってくることが増えて

私は母もだけど父も嫌いになっていきました

2対1で言い合いになるのは、正直怖かった


ずーーーっと実家ではイエスマンだった私

少しずつ自分の意見や思ったことを言っていることに

感情的に返す2人と、結局はケンカ状態

今よりも私は非ダイヤだったから、怖くて怖くて仕方がなかった

何でそんなに父が母の味方をするのかわからなかった



でも、

それも今全部振り返った時、

「父は、本当に意思を持って母を守ろうとしていたのだろうか?」

と疑問がわいた


本当に、父が信念や意思でやっていたのだろうか???と


父が守ろうとしていたのは、目の前の母ではなく父の脳内母なんじゃないか?



子どもを産むまでは従順だったのに、突然言い返したり母に昔ことを言うようになった娘



父はその状態の人を40年近くずっと近くで見ています

母です


母は子供が生まれてから、母方の祖母に強く当たり出したそうです

今までの鬱憤を晴らすかのように祖母への干渉や、監視、文句、キツイ言葉を放つようになって

もう今もずっとそれが続いている


きっと父や母からしたら、私が急に母に言い返したり、意見を言うようになったり

連絡を断ったり、殴ったりすることは

母と祖母の関係の再現でしかなかったのかもしれません



母は、自分が祖母にやっていることは正当化しているので

1ミリも自分は悪くないと思っているけど、でもほんとは全部わかってる(はず)

だから、自分のような娘の変化が怖くてたまらない

自分がやっているようなことを、娘が自分にやる、これからもヒートアップすると

思っているかもしれない


そして母は、老化も含めてどんどん弱くなる

弱者戦略もどんどんレベルアップする

怖い、怖い、娘が怖い

こんなことする、こんなこと言う、酷い!酷い!と怯える


すると

父が反応して「守りモード」に入る

そして父は、反射的に「弱い母親」を守ろうとしてしまうんだと思う


さらに弱者戦略を使う母、守りを固める父



父は母を守っているつもりだと思うけど、

結局は自己防衛してるだけなんじゃないか、と思えてきた




ほんと、なんて父は母と結婚したんだろ?とずっと疑問だったことについても、

父は、父の実家を早く出たかったんだよね、きっと

そして、お見合いで出会って気が合ったのか何なのか

母と結婚したんだろうな

家から、弱い自分の母親から逃げたくて家を出たかったのかな


そんな父が前話していたのは、

「自分は自分の父親みたいになりたくない」

「家族がいるから、子供が小さい時は出世よりも転勤や移動を全部断った」

という話


父なりの守りたい家族像があって、

その家族像を守ることが父にとっての存在証明だったのかも

母親の写真を使うので

家のアルバムから探して、

テキトーにとったものなんだけど


これを見るたび私は

「私はこれを叶えたくて、これまで生きてきたんだろうな」って思ってた


これも私、選ばされてたってことか。。。



ただ、父のことを振り返って思ったのは

ほんと父ってただの雑魚でアホなんだなってこと


ただの雑魚くてアホなだけだった

うちの父はアホ!


なーーーーんだ照れアホか!ただの雑魚か!

と思ったら、

近年の姿が怖くて仕方なかったけど、

なんだかスッキリキラキラ