2階の部屋のドアにこんな看板が!
「うなぎ部」だそうです
活動内容はうなぎの世話をすること
部長、長男
部員、今のところ私のみ
部室、私が寝室にしている部屋
うわあ、今までずっと引っかかってた部分が
やっとわかったああー!
今、私は母親講座4周目で
ナリ心理学のブログをノートにまとめながら進めています
ブログと母親講座のテキストを読み込んで
自分がわからない部分を探したり、
自分の理解度の振り返り、
自分は母と向き合うのどの辺りまでできているか
を確認をしています
このリブログ先のブログで「わかった!」と気付いたことは
実はこのブログには書いていなくて
↑こっちの記事の方が書いてあると思います
何がわかったかと言うと
「いつも矢印は母親→自分」
ということでした
単体でその話を読んだ時は、私はわかってるんだと思っていました
母親をダイヤと即答できるから、自分をダイヤと思える
ということだし、
自分がダイヤだから母親をダイヤと思えなくても、ダイヤに違いない、は違う
わかるわかる
ただ、
私がずーーーーっとなかなか進まなくて
引っかかっていたことが
母親への過剰な期待を手放せない部分で、
いくら母を人間以下に降格させても
それをリカバリーさせようとしてしまう自分がいました
例えば、母は便座カバーなんだ
としても、言葉も発しない、今やあまり見なくなったそれの発する
意図をつかもうとしてしまっていて
(便座カバーの意図とは)
全然降格できてないし、期待が手放せませんでした
私は動物相手に話をしているムツゴロウさんか!
と自分でもつっ込みが止まりません
これも結局私が「母→自分」にできてなくて
ずーっと「自分→母」で考えることから抜けられなかったからなんだ
とわかって、スッキリ
非ダイヤになって、自分が悪い、間違ってるって考えから抜けられなくて
その状態が、自分→母親でしか見られなかったんだ思います
そして、リブログ先の記事は
視点の始点が自分になるんです
世界をどう見ているか、どんな色付けをしているかは
全部自分次第!と
「自分→世界」
元々無色透明で何の色もついていないこの世界に対して
色付けをしているのは、自分の「状態」
いい気分や悲しい気分の状態や、
ダイヤ、非ダイヤの状態
中二病などジャッジの強い状態や、ジャッジの少ない状態
などなど
これだけで世界への色付けが変わってきてしまう
リブログ先のブログに
って書いてあって、
このどんな自分かという状態は、前提だから
この記事の前に別に必要な作業、なんだね
このブログを読んだ後の感想として私は
「非ダイヤが非ダイヤのままで考えても全てムダなのは
問題ではないことを問題と見たり、心配や不安から事実をそのまま見ることができない状態だから
ダイヤを思い出す過程は、存在に対する不安へ付いた色を無色に戻すこと」
でした
ここまで書いて一晩寝て(寝るのほんと大事)
・・・ということは、
自分→母親の視点では、ダイヤを思い出すはできないんだ
私が母に対してムツゴロウを辞められなかったから
いつまでも母と向き合うが進まなかった
母親→私の視点で、母の何が私を非ダイヤにしたのか
って考えられなかったから、進まなかったんだ
そっかそっかー!わかったあ
って嬉しくなって
現状の自分は、母親をダイヤと即答できる状態で
自分と向き合うことやダイヤミングを続けている
と思っているのだけど
改めて母親理論を理解して、
そういう事だったんだーってわかっていくのが
めちゃんこ楽しくて、爽快でたまらないです
もー、スッキリしまくり
母親理論講座はもはや趣味
ほんとこの講座、大好き!!面白すぎる!!
それにまだまだわかんないのにわかってないところが
いっぱいあるし
だから、実は私わかってないかも
実は違うかもしれないので
講座でそれをひとつずつ紐解いて潰していきたい
今日はあっちこっちのブログのことをひとつにまとめたので
超カオスなんだけど
ま、私がわかればとりあえずよし
ってことで
世界は全て自分次第である!