母親を理解する、をやる時に私もこんがらがって
なかなか進まなかったのが
理解と同意や、許すをごちゃまぜにしていたからで、
感情的に「そんなのやだ!」って進まなかったなあと思う
理解は理解
私が理解があと一歩進まなかったのは、
母が言うこと、母が私に対してやってくることが苦しくて
かなり我慢と犠牲をしながら、母の言うことを聞こうと思っていたので
こんなにツライギッチギチのルールは、きっと母も辛くて苦しいに違いない!
母だって我慢だらけでつらいのではないか?
と思い込んでいて
「それなのに、何で私のこの大変さをわかってくれないんだよー!!!」
と
まずは、母に私の気持ちをわかってほしいが譲れなかったからでした
前も似たようなことを書いたのだけど↓
私と母は趣味嗜好、性格が結構違う
だから、求めているもののベクトルが違う
母理解を進める中で、
母は母の理想を私に押し付けていたし
私は私で母を勝手に不幸で可哀想扱いをして
私の理想を押し付けていたなあと思うようになった
更に母親理解を進める中で、
これはもう仕方ないわ、と降参要素になったのが
うちのお母さん、ASDなんだな
でした
ASDとは、発達障害の中のひとつである
自閉スペクトラム症のことです
前から母はASDだろうとは思ってました
でも、私のASD知識と理解が甘くて(感情的で学べなかったのもある)
そうは言っても!!
と感情的な反発の方が強かったんです
ASDのことを差別しているわけでも
だからダメなんだと言ってるわけでもないことは
ご了承ください
ASD否定したら、
診断ついてる長男、可能性を指摘されてる次男まで
否定することになっちゃう
そんなつもりは全くないです
子どもたちの理解、関わり方、支援を勉強する中で
私はおめめどうという会社のツールに出会うのですが、
ここで、ASDについてどんな特徴があって、どんな行動をとって、どんな特性があるかを
具合的にとっても細かく知っていきました
知れば知るほど、頭の中に例としてよぎるのが
うちの母のことでした
厳格なルール、狭い世界、変化が嫌い、何でそんなこと言うんだよってことを口にする、感覚過敏
これがASDの特性からきているんだとしたら・・・
私にとってはあれもこれもと縛られてキツかっただけの
母からの教えは
母にとっては当たり前で、苦痛どころか安心のための行動だったんじゃないか?
私には全然合わなくて、つまんなくて、厳しくて、苦しかった色んなこと
同じことをやってる母もきっと同じく辛いんじゃないかと思ってたけど
母にとっては全然辛くも何ともなかったかもしれないってこと
例えば、この前も書いたけど
熱が出ても坐薬を入れて這ってでも仕事に行く
という、私からすると意味不明な行動も
・仕事には必ずいくものだ
・決められたことは必ず守るものだ
という、ASD性が未ケアでそのまま発揮されて
そこに非ダイヤ性がくっついた思考、価値観なのだとすると
熱でしんどい中仕事に行くことふつーには辛いと思うけど、
母親の信念的には何の苦痛もなく
「むしろ、こんなの当然っしょ!(by母)」
で、
決められたシフトや自分の予定が変わることの方が苦痛で、
自分が我慢して仕事に行くことで予定を守るための行動の一つだとしたら
母、私が思うほどは辛くなかったのかも。。。
こう言うのが、全般的にあったのかも
私には合わないだらけ、ただただ拷問だったことも
母にとってはむしろ安心だったのかも・・・
ここで繋がったことが
「私の辛さをまずは母にわかってくれよー!!!」
という私の期待や願いをぶち壊しました
こりゃわかんないわ
いくら説明したって、母にとっては当たり前ゾーンで
私が感じたほどの辛さはなかった
同じように大変かと思っていたけど
多分、全然違うだろうな
そりゃ、わかんないわ
そして、母がASD+非ダイヤなのだとしたら
母が「私が何に悲しんで、辛かったか」はわかんないだろうな
と思った
ざっくり、人の気持ちがわからない、のではなく
目の前の娘(私)が、自分(母)がいいと思ってやったことに対して
何でそんなに反発して、怒って、悲しんでいるのか
しかもずっと前に過ぎ去ったことを
何で今更言うのか
・・・わかるわけないのか。。。
その時はがっかりした気持ちと
新しく開けた感で嬉しいのか悲しいのかわからなかったけど
何十年もずっとずっと「わかってほしい!」と母にぶつけてきた気持ちだったけど
「わかってほしい」「何でわからないの!」はなくなっていきました
母のこと、ずっとつまんない人!とレッテルを貼っていたけど
母にとっては狭くていつもと同じことが、安心で
それが母の世界なんだと思ってからは
「私とは趣味嗜好や性格が合わない人」という認識に変わっていきました
母を理解する
でも、母のやったこと、母の生き方や行動は別に賛成しなくていい
母にとっては信念だったとしても、私にやったことにも同意しなくていい
が、私の中でも別々になりました
↑の記事でも
母親がとにかく変なことばかり、意地悪みたいなことをやっていても
それでも、めちゃめちゃ子どもを愛していた
ということが書いてあるのだけど、
これもわかるようになりました
母が愛していたのは事実
うちの母も、私のことを激重レベルで愛してます
変なことを突発的に言うけど、私を愛してる
ただ、それは私には一切伝わらないし嬉しくないことばっかりやる
むしろ苦痛だし、全部裏目だよ!と
私はずっとずっと母に対して思っていました
これも、
母は常にマジキチなことをしてくるけど、それは私を愛するが故にそんなことを本気でやってる
それが愛だと思っちゃったのは、母の育ってくる環境もおかしいし、性格気質もあって
まさか変なことをやってるとは微塵にも思えないだけで
ただただ私のことを愛していたのは事実
までが理解
だが、私はそれを愛とは呼ばん!
母のやったことがよかったとは1ミリも思わない
この人とはやっていけない
が同意(同意しないってこと)
その結果、
私は母の愛が全く伝わらなかったし
母の愛を感じることができなかったので
私は愛されていなかった
になるんだなあと納得できるようになりました
「それでもやっぱり、愛されてる」の中にあったこれ↓
うちの母のことかと思ったし、
ピンクの補足部分を読むと笑えて仕方ない
ほんっと、うちの母も愛間違えたよ
本人は意地悪してるつもりがないんだもん
母「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ!」
私「呼ばん!」
母「Love&Peace!
Love&Peace!」
私(この人とは気が合わない)
ちなみにうちの母は、大人しい性格なので
こんなことは言いません
むしろ、私が言って母がムッツリしてる側でっす