もー、私のことだよっ!
↑リブログ先にも書いてあってすごく納得なのが
生存戦略でやってるってこと
やらなきゃ死ぬ思いになるんだもん
だから辞められない
私の場合で振り返ると、
本当に色々辛すぎて、でもそんな風に見られたくないから必死に明るくやってた
辛い時こそテンション上げてて
テンション頼みで普通の人のフリをしようとしていたなあって思う
明るくて特別になりたいと言うよりは、
とにかく「お母さんみたいになりたくなかった」
パッと見だけでも、お母さんと違う、になりたくて必死だっただけだった
うちの母は、性格は大人しいタイプなのだけど
どこかおちゃらけるところがある人だった
母の場合は大人しさを祖母にけちょんけちょんにされたので
母は明るくおちゃらける姿に憧れて
それが特別な自分に思えてたのかな?
知らんけど
それでも私の目に映る母は、
なんか暗くて、いつもつまんなさそうで、むっつりしてる
だった
だから、お母さんみたいになるのほんっとにやだー!
が私の生きるバネみたいになってた
あとは、
「楽しまなきゃいけない」っていう強迫的な気持ちが
めちゃめちゃに、私の中に根付いてしまってる
忘れられないエピソードとして、
中学生の時、家族旅行に行ったのだけど
1日目はジャニーズのコンサートに行って(ここは母と2人)
2日目は現地を観光をしたんだけど
2日目はあんまり乗り気じゃないのと
前の日の余韻に浸っていて
全体的にだるーって気持ちで観光に着いていった
そんな私の様子を見た母は
「あんた、自分の行きたい所ばっかり楽しんで
行きたくないところはそんなにつまんなさそうにして!」
って言われて
すっごーーーくいやーーーな気持ちになったのと
急に意味不明なことを言われたのがビックリして
ものすごーーーい罪悪感MAXだった
その後もみんなでソフトクリーム食べることになったんだけど
食べたくなかったから断ったら
「あんたはいつもそうやって、いらないって言う!
わざわざ来たのにもったいない!」
とか言われて
またまたいやーーーな気分になった
何だかこの時のことは、忘れられない思い出なんだけど
多分この時以外にも同じようなことは日々あっただろうな
みんなと同じことを、同じように楽しまなきゃいけないんだ
(じゃないとお母さんに嫌なこと言われる、責められる。怖い、嫌だ、悲しい)
それで、
自分が楽しめないかもしれないことが、正直怖いと思ってしまうし
自分に興味のないこと
知らないことに出会うと
・・・私、楽しめるだろうか。。。
と不安になって
焦りのような気持ちでいっぱいになってしまう
私はみんなと同じように、楽しめるんだろうか
私はみんなと同じように、楽しめるんだろうか
私はみんなと同じように、楽しめるんだろうか
ウワーッ!!
何でみんなは楽しくて
私は楽しめないんだろうか
楽しめない私は、ダメなんだ
なんかおかしいんだ
そして母の前では、楽しんでまーす!って猛アピールするために
楽しめない自分とさよならをすることにした
(後に友達との間で似たようなことが起こって、
世界も楽しみを強要してるっ!と思い込むようになるのであった)
追記:
と言うことは、母からしたら私ってめっちゃ楽しそうにしてる人だったんだ
母が嫌なこと言おうが、干渉しようが、キチガイじみたことしようが
ヘッチャラそうで楽しく生きてる子
母は自分の子育て教育の賜物くらいに思ってたのかも
そんな私は、
いや、そんな私だからこそ?
母を喜ばせなければいけない!
母を楽しませなきゃいけない!!
と使命感を感じるようになって
なんか暗くて、つまらなさそうで、むっつりの母を
楽しませよう、喜ばせようと必死になってたんだと思う
でも、母はいつだって
つまらないことを言って、ムスッとした顔をしている
私が何をやろうとやるまいと
嫌なことばっかり言うし、なんかムスッとしてるのは変わらない
その影響は、私の子供たちにも向かっていった
何かする時「子どもたちが楽しんでなきゃ!喜んでなきゃ!」
だし、私も楽しまなきゃ!!!に縛られまくっていた
つづく