このブログを読んで、私は思った
「多分私は期待しないなんてできないだろうな」
これまでどんだけ色んなものに期待してきたのか
自分にも、相手にも、物事にも
そしてことごとく裏切られる、をどんだけやったか
そして今だって多分何かに私は期待をしている
そんな私が期待をしないようにする時
「期待しないができる自分に、期待をしない」
からのスタートだなあ
と思った
1年捨てられる自分に、期待をしない
もそう
捨てるぞーって言って、
捨てられると思わないこと
これだけ見ると、やる気ないと思うけど
そうじゃなくて
多分来週あたり、捨てられないし期待した自分に会うだけだから
それも見越して「今の自分には無理だろーなー」
が
結局は期待しないに繋がりそう
期待をする自分を許す、なのかもしれない
その中で
予定を入れない、成長しない、楽しもうとしないをやりつつ
淡々と、期待した自分に会ってはまた繰り返す
をしていったら、
1年あったら少しは「期待しない」が何なのか自分にもわかってくる、・・・かも
昨日、私は家の2階の大掃除と片付けをした
8年間ずっと物置き状態だった子供部屋を
長男のカームダウン部屋、寝室にするためなんだけど
片付けながら私は
「きっと私は、この部屋を長男が気に入ってくれなかったらイライラするし
使ってくれなかったら「せっかく片付けたのに」って押し付けるだろうなー」
と思って、
片付けたいけど、片付けるのがちょっと嫌になった
「せっかく」
の4文字が私から出ないわけがない
だからもう、近い未来に絶対私は「せっかく」って思うから
そうやってイライラしたらどうすればいいんだろう?
って思ったから
そうなったら一旦その場を離れて
激落ちくんでシンクや玄関を磨くことにした
「クソガキ!クソガキ!」って心の中で叫びながらやる
うちの激落ちくんの在庫が切れてたから、買い足して
キッチンのシンクにしようか、洗面所にしようか、浴室にしようか
やはり王道は、玄関のたたきか?
ってめちゃめちゃイメージして計画を立てた
だってそれくらいやらないと、
無自覚で無防備でいたら、
私はすーぐ「せっかく!」って怒っちゃう
期待過剰な非ダイヤババアなのだ
何年うちの母に期待したと思っているのか?
40年だよ
そして、リブログ先のここ↓
↑ここまでスクショ
何て痛い言葉なんだーーー
ほんとそうだと思う
もしかしたらできるかもしれない
ってちょっとでもよぎると
それが自分への期待になっちゃって
やって失敗したら、嫌になるもんね
もしかしたらできるかもしれない
は
私にはただの脳内麻薬だよ・・・
さて、私の1年後はどれくらい「期待しない」でいられるか?
この問いに対する回答は「きっとできない」
・・・ってことだもんね
そっか、来年もまだ期待してるんだひー