今日は市の乳がん検診

待ち時間がたっぷりあって非常に退屈だから

ブログ書いて待ーつ!



先日、実家にお母さんに会いに行ってきました

私の実家は岩手県、私が住んでいるところは宮城県

高速道路を使って急ぎ目で2時間半くらいの距離の場所


土日に行けば時間も気持ちにも余裕はあるんだろうけれど

土日にはお父さんが家にいる

うちは、お母さんと私が話していると

すぐにお父さんが入ってきて、雲行きが怪しくなるとそのうちにお母さんに逃げられちゃって

なぜかお父さんと私の言い合い+お母さんが横槍という状況になるのがオチなので

話があるなら平日一択


子供たちには学校から帰った後、お留守番してもらうことにして

私は岩手へレッツゴー




お母さんと何か話したいとかと言うよりは、

自分がお母さんを庇ってるのがハッキリわかって

庇ってない私が本音をぶつけるならどうなるだろう?

と思って行きました


お母さんがゴミなのはわかるけど、

でも、全然ゴミだと認められない私

どうやったら諦められるんだ?

認められるんだ??


庇っていてできなかった、言えなかったことって

一体何なんだろう?


このまま1人で考えようとしたって

クソノートで発散しようと思ったって

できるの?いつまでやるの?

自分はそれでできると思ってんの?


これまで庇っていたから出なかったこと

言えなくてもいいから言ってきたらいい



私はお母さんを庇っている

ずっとずっとお母さんに洗脳支配されてきたんだから

庇う以外の選択肢がなかった

簡単に洗脳支配から出られると思ってるなんて、やっぱり私はアホだ



目の前のお母さんに、

対面すること自体が本当は怖いし

まだまだ期待をしている


弱者になって言いなりになって穏やかなお母さんになって

脳内のお母さんとは別人になったことが

ゴミと思わなくていい免罪符にしているし

(昔の母は、恐怖のヒステリック支配過干渉否定可哀想ババア)


こんなに変わったんだから

お母さんは、私のこと見てくれるはず

って期待が捨てられないんだよ



こりゃ、いっぺん今の母でいいから

今の母ゴミなんだってのを見てきてもいいかも

1人グルグルしているくらいなら、

結果がダメでも一度行ってきてもいい





実家滞在時間は40分ほどだったかな


私はどうだったかって言うと、

もー、ただ1人で暴れてた爆笑


全部言い返しまくって、怒鳴って、ビンタして、殴って、泣き叫んで

ギャーギャー騒ぎまくっていた


その姿は、昔の母みたいだったし

なぜかうちの弟にそっくりだなあって思った

弟も、よくこんな風に反抗したし私にも向かってきたよなあって



なんか色々母は言っていたけど、

最後の方は本当に何言ってるのかわからなくて

わからなさすぎて

これ、いつまで聞いてんだろう?と思って


「もういい、ありがと、帰るわ」

って母は見ずに後は帰ってきた


母は

「え?もういいの?」

と一言発していたかな

どんな顔してたかは見てないからわからん




ずっとずっと、

うちのお母さんの話すゴミ語をわかろうわかろうとしてきた

変だなと思ったり、嫌だったことも押し込めて

お母さんの言うことを一生懸命解読しようとしてきた


解読するほどに、私が悪いのか、私のせいか・・・

と解釈してしまうしかないくらい

お母さんのゴミ語はヤバかった

もう、解読したいとは全く思えない



ナリくんや、アドバイザーさんたちがブログで書いてくれる

「どんな私でもいい」「そのまま存在していい」

これが当たり前の価値観だっていう知識が

やっと、私の役に立てたと思う

これを知らないから、ずっとお母さんから貰ったものを疑えなかったし

どれだけうちのお母さんがズレてるか、比べられなかったから


それくらい、私は知らなかったんだなあ

それも全部私の育った環境だったんだなあって思った


ゴミのテンプレにはバッチリ当てはまっていた母

それも、今まで気付かなかったし

気付きたくもなかったし

どうか、うちのお母さんだけは違ってほしい

って私は思っていたんだ




母の前で出た私の暴れっぷりは

本当に「メンヘラスネ夫」でしかなかった

これも、ゴミの解説にバッチリ書いてあること


感情的で、論理的じゃなく、幼稚で、暴力的で・・・

ね、私が母の前でやって来たのそのまんまの説明だよ

私もゴミ、すっかりゴミ

いくら普段の生活で隠そうとしたって、隠せない


この姿を出さないために繕ってたけど

繕えてなんかないんだわ




私が母にぶつけたことなんて、ただのスネで

おいババアこっち見ろよ!こんな私でも愛してよ!こんな私でも、それでも存在していいの?

って、必死で「私のことを見て!」ってやっただけ

子供みたいに殴って叫んで泣いて

お母さん見て見て!見て見て!

ってやって来ただけ



お母さんに言いたいことなんてない

ただ、「私のこと見てよ、認めてよ、笑ってよ、愛してるって言ってよ!」ってやっただけ



それが、私だ




そして今まで本当はこの気持ちをお母さんにぶつけたかったのに

庇う気持ちが、それを許さなかっただけ


お母さんに失望されたくないし

お母さんの理想の子でありたいし

これをやってダメだった時、どうしたらいいかわからないから

終わるって思って怖かったんだよね

でももう、終わってること、どこかでわかってたのかもね




帰りの車は、頭の中は何も考えられなくて

感情的ではなかった(母に思いっ切り発散したからだろうね)

めっちゃ車を飛ばして、途中の道の駅でラーメン食べて、また飛ばして

無事に家に帰ることができました

子どもたちに会えた時は、何だかすごく嬉しかった




その後もしばらく、何だかよくわからなくて

やっと少しずつ、自分の中に降りて来たことが増えて

今です


でも、まだまだ理解には辿り着いていない

きっとまだ私はお母さんを庇っているし

ゴミだと理解ができていない

事実を見て来て、揺るぎないことはわかるけど

わかっただけ、です





今回のことの収穫は、

私がとにかく「お母さんに見て欲しくて、認められたくて」今の現実を作っているということ


20代くらいまでは、いや、35歳くらいまでは

お母さんに褒められるような、凄いと思ってもらえるような、ちゃんとした私になろうとしてた

それが、お母さんに見てもらう方法だって思って

「お母さんに見てもらうために」全てをやってた


それが最近は、

ただただ「無能でどうしようもない私」を認めてもらおうとして現実を作ってた

要はただ拗ねてた

こんな私でも、こんな私でもいいんですよね???

ってやってただけ




それで私は本当に何もやらなくなって

ダイヤの人の行動だけ見て、同じことやればいいとすら思ってた



私が今、何でこんな風に生きてこの行動をしているのか?

私は今回こうして、キチガイ全開をやってしかわからなかったほどの本当のアホだけど

でもまあ、わかってよかったかな


これからの実家との付き合い方はようわからん

なぜか父が定期的にリンゴジュースを送って来るし(意味わからん)


別にもう、よくない?

お母さんに見て欲しくて、見せつけたくて、認めてもらいたくてやるの、よくない???



で、

今の私の行動指針がわかって

お母さんなんてどーでも良い

お母さんのために生きるのをやめようと思って


まだ、気持ちにカタが付いていなくても

今日はどうしようか?何をしようか?

って変えていいんだねにっこり



それが、

ちゃんとしようとしていた頃の私と同じ行動でも

自分がどこを見て、何を目的にしてやろうとしてるのかが違えば

それでいいんだ


それが、ダイヤの人の行動と違くても

私が今やろうとしていることが

今の私から抜け出すためのものだから、ダイヤ思い出したら今と似たような行動に戻っても


自分が、何でこれをやるのか?

さえちゃんと見えていればいい



自分の理解し終えるのを待つとか、

気持ちが落ち着くのを待つとか(ショック状態は落ち着くけど)

ダイヤ思い出すのを待つとかしなくても

みえたところ、わかったところから動き出していけばいい


どうせまだまだ色々あるんだから昇天

わかったところから動いて、ゴミ捨てしていけばいいんだなー


ってところに今来ました


まだまだこれから!

毎日腑に落ちていくものがあったり

自分に積み重ねるために、毎日同じことをわざわざノートに書いたりもしてる(私は書くことで自分に定着していくタイプだから)


まだ理解できないことを責めない

理解したいのに出来ない自分を待つと決める

ただし、母はゴミである


待っている間に、

少しずつ動いてみてます