子どもたちの夏休み中、
インスタライブはほぼアーカイブを見ていました
時々時間があった時や、事前にわかった時はリアタイで!
その中でずっと私の中で響きまくっていたのが
ナリ心理学認定アドバイザーのともちゃんの
インスタライブ「物事に取り組むのが億劫な人へ」
↑リブログ先にインスタへのリンクがあります
一度聞いて、時間をおいてまた聞いて
そういえば昨日も聞いて、今日も聞いた
ライブでは、ともちゃんの長男くんの事例を話してくれていた
私が印象的だったのが
「物事に取り組みだすのが億劫でやることができずに貯めちゃう人は、
最初の一歩を踏み出す時にすごく勇気が必要になる」
というお話
私自身もそうだなあ、って思って聞いてたんだけど
それ以上に、そうだなあと思うのは
うちの次男だった
だからか、何回もライブを聞くたびに
次男のことがリンクされて
「うわ、私本当に次男に対して間違いすぎた」
が、言語化されないまま自分の中にジワジワと入ってきたことだけわかった
うちの次男は、すごく慎重な性格で
外ではお話ができなくなる、場面緘黙もある
緊張して固まったままになることもよくある
もっと小さい頃から、外に出るのは苦手で
外に出る時はずっとだっこちゃんだった子
ただ最近は、
外に出るまではかなり大変だけど
一度外に出てしまって、楽しみ出すと
今度は帰りたくなくなることが多く
今まであまり歩かなかったのに、
動きは機敏だったり
気付けば自転車は補助輪なしで乗れたり
アスレチックも上手だったりと
なぜか動けて私ビックリ
学校でも話をしなかったり、固まっていて
それで上手くできなくて失敗や悔しいこともあったけど
やり出すと今まではどういうこと!?と言うほどできたり、
学習面でも遅れがないらしく
先生からも「できるから大丈夫です!」と評価されたりする
取り掛かり始めると、コツコツ丁寧に粘り強くやるし
負けず嫌いだから泣き叫びながらもやるんだけど(主にゲーム)
とにかく、最初の一歩を踏み出すのがゆっくりだったり
そもそも踏み出せずに終わることが多々ある
夏休みの宿題もそうだったな
結局は私が「今日やっちゃおう!」と言ってやる事にしたけど
長男が宿題を終わらせても、まだ取りかかれずにいた次男
それが一度取り掛かり出したら、静かに黙々と最後までやり切ってた
私も、学校や幼稚園の頃の先生も
つい
「できるのになあ〜」
っていう目で見ちゃってたんだ
できるんだから、やろうよ?
小学校に行ったら1人でやらなきゃいけないから、1人でやろう?
って、次男に対してみんなでけしかけちゃってた
でも、
ほんとのほんとに
最初の一歩を踏み出すのが、億劫なだけだったんだなあ・・・
その一歩は、
次男にとっては物凄い勇気のいることで
物凄い労力がいることで
それはそれは一大事で
そんな事がきっと1日の中にも何度もあったんだろう
一歩を踏み出さないがために、
本当はできることもできなかったことだって
何度もあったんだろう
そんな風に思うようになって、
今の次男に「できるからやろう」を目指させるのは
違うなってやっと私の中で確信になった
そこで、夏休み明けの登校に学校の教室まで着いて行ったついでに
担任の先生とお話をする機会があったから
この話もしてみた
次男がやればできるのは、その通りだと思うけど
最初の一歩を踏み出すのがすごく大変で、それで困っているんじゃないか?
それは家だけじゃなくて学校でも同じだと思うし、
先生から見て、どんな手助けが考えられますか?
って
そしたら、なんと先生が「私もそう思います」って
しかも
「私も1学期に、できるからと1人で頑張ってもらおうとしたり
短期間でお友達とお話ができることをゴールにしてしまって
そのやり方が間違っていたと思いました」
と話していて
あれ、先生もそう思ってたの!?
とびっくり半分、やっぱりそうだよね?が半分
な気持ちな私でした
話はここから逸れるのですが
じゃあ私は、どうなの?どうだったの?
って考えてみた
私も正直、物事に取り組むのは億劫な方
とにかく面倒くさがりだし、
気持ちの切り替えがとっても苦手だから
休みモード→活動モードになるのが億劫で仕方がない人
できないわけではないんだけど、
面倒くさいからやりたくない、はたくさんある
できないわけではない
やればできちゃう
だけど、面倒だからやりたくなくて後回し
ほんとはそんな人間なのだ
ただ、これまでの人生だったらどうだったかな?
って振り返ると
多分何とかしてやってたかな、と思う
できるんだから、やればいいじゃん
って私が思うのは
ずっとそれを自分に言い続けてきたから、というだけだと思う
できるんだから!何でやらないの?
って
私はなぜそのスタンスでやって来たのか?と言うと
それをやらなきゃ存在しちゃいけない!と思い込んで我慢して、自己犠牲をして
自分にめっちゃムチを打って這いつくばってやって来てただけで、
それが私の地獄のデスロードの歩き方だったというだけ
それも、無自覚だったし
それしかやり方を知らないから
そういうものだと思って、ずっと頑張って来てた
あとは、衝動性の高さを利用して
勢いと衝動でやったことが、行動的と評価されて嬉しかったんだよね
中身がなくても、結果がイマイチでも
「やったねー!」「できたねー!」って言われて
私はその評価に依存しちゃったんだと思う
(もちろんお母さんに褒められたのではない)
本当は私も面倒くさがりの億劫な人間だから
次男の気持ちなんて、よーくよーくわかるはずなんだ
でも、ずっと我慢で乗り越えて来てて
すっごい損して来ちゃって
だから、我慢もせずにやらない次男に対して
何の共感もしてあげられなかったんだ
ともちゃんのインスタライブで、
最初の一歩を踏み出す時に、物凄く勇気が必要
という話を聞いたんだけど
私は、勇気を出した事がこれまでになくて
勇気を出して一歩を踏み出したんじゃなくて
ただ、我慢して自分に無理をさせてやっていただけだから
この一歩を踏み出すこと、
勇気を出す事がどれだけ大変で、怖い事なのか
ほんとのほんとにわからなかった
人生で勇気を出した事なんてなかったから
私は、我慢と勇気の区別がわからなかったな
それでも、
勇気を出すことが、私にもほんの少しだけわかってきた
昨日のブログで、
ずっと自分の中で隠していたことを
まだ自分でも認めきっていないうちに書いてみるとか
今の自分には厳しいかも
と思うものに応募して、権利を貰ったりとか
我慢とはまた違った怖さだったり
自分で決めて「やる!」と踏み出したりする時の気持ちは
勇気寄りなんじゃないかとは思っている
そしてやっと、
「できることをやらない勇気」
が、私の中で納得するような、腑に落ちるような
そんな感覚になった
まとまらなさすぎて、
何回書き直してもまとまらないから
まだまとまらない今日の私を記して
一旦おしまいにします
いつかまとまったら
また書く!
では!